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初老たちの会話 + 短歌

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17:31


 昨夜は


 年に一回帰国子女になるBさんとの宴会だった。旦那さんの仕事の都合で、毎年この厳寒の候に帰国するので、定例会のように数人が集う。建築のプロモーション(で、よかったかな)をしているT君、CD楽器店勤務のN君、飲食店(この宴会の会場)を一人切り盛りしているMさん。Bさんの妹Fさん、と私(君付けは男性、さん付けは女性)。今年は集まりが悪かった。それぞれに家庭の事情を抱えている。


 家庭の事情といえば、店に着くとMさんがいきなり「母が昨日、三回目の危篤やって…持ち直したんやけど」と言う。Mさんのお母さんはパーキンソン氏病を長く患っておられる。「ええ、宴会の準備なんかしててもええの?」と口には出さず、心の中で思った。この場に彼女がいる以上、彼女なりの不安との戦いの結果だし忙しく働くことで忘れたいことや、旧友と馬鹿話が有効であることもあるだろう。生半可でこの場にいるわけでは決してないのだから、彼女がそこに立って調理してくれる意志と態度を重んじなければならない。




母 危 篤 の 連 絡 は 来 ず 旧 き 朋 わ れ ら の た め に パ ス タ 茹 で ゐ る

ははきとくのれんらくはこずふるきともわれらのためにぱすたゆでいる




 毎年、集まったら増加傾向にある話題は病気と介護の話である。無呼吸症候群と小さな脳梗塞を抱えたT君。胃癌の摘出手術を受け四年目のN君 と二年目のFさん。Bさんはアメリカの医療保険制度はめちゃくちゃなので帰国している間に実費で日本の病院で検査を受けるという。Mさんは疲労困憊の最果てやっとこさ立っている。私はアルコール依存症闘病者、肝炎ウィルスキャリア、閃輝暗点、前立腺肥大…まだあるぞ。


 私とN君 の両親はすでに亡くなっている。介護が必要な年齢まで生きてはいなかった。しかし、Bさん、Fさん、T君は要介護のお母さんがいて、すでに三人とも病院に入っている。それまでの介護の話が出るとき、三者三様に「死んでくれと思った」「これで楽になって救われた」「いつ死の知らせが届いてもおかしくない」と、もっともっと現実はきれいごとを許さないという話がいっとき続いた。一時的に続いた打ち寄せては返す波のような感情だろうが、それを彼や彼女らは隠さなかった。そうなると両親をすでに亡くしているN君と私は「おれら二人はしあわせだったのかもしれない。親が子供孝行して死んでいった」という逆説の会話に陥る。親の死を望んで生きてきた人が新聞やテレビニュースの中ではなくて、眼の前に何人も普通のこととしているのだった。


 私に医療介護制度、行政の話をする知識も経験もない。逆説の会話をしている者には資格もない。ただ「死んでくれと思った」「絶縁した」「救われたい」という、そのさまざまな言葉は比喩や修辞ではなく本心真実なのだということ。闘っている者だから言える真実なのだから、私は「うん」とは聞いていても「大変やな」と口を挟むことはできなかった。死を望む、世間からひどいと糾弾されそうな言葉も、世間を映しているのであり、闘っていない者になにが言えるか。そういう意味では戦士でもある朋を前にして、素知らぬ世間の面提げて「そらひどいんちゃうか」とでも、言った途端、私は万死に値することになる。 ※「危篤を迎えたら優しい気持ちになった」というMさんの言葉もまた真実として書いておかないと不備だな。

 ああ、どこが楽しい宴会や、と突っ込みも入りそうだが、こんな話ばかりしていたのではない。旧交をふんだんに温め合った一年に一回の逢瀬であったのも事実なのである。しかし、徹夜は堪える年になりました。今、寝たら明日の仕事へのリズムが狂うので、オリンピック見ながら、夜に早寝の段取り。チョコいっぱい貰ったぜ。私も子供孝行を考えに入れて適当な時期がきたなら、さよならしなければ。






 冬の日に洗濯かわき静電気、そんなこんなちょっとぴりぴりした黄昏前だ。




只今のながらCD

THE INCIDENT / PORCUPINE TREE
by alglider | 2010-02-14 15:01 | 日々是口実

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


by alglider
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