私の食卓
2006年 04月 23日
この蝸牛の写真うまく撮れてるでしょ.........
考えてみるとブログを始めてから、毎日毎日飽きもせず文章をかいているなぁ........帰納法で考えてみると、結局好きなのね、ってことか。あぁ〜、全部依頼原稿でギャラが発生すればよいのに......だめだめ、アル中回復のために書いているんでしょ....ハイッ!リハビリっす。ガンバリマスっす。す、は一回っ!
今日は箸休め。
漬物桶に塩ふれと母は生んだか
と放哉さんの俳句を選ぶとき、例によって、私の頭の中でその俳句は何か他のものを呼び起こしていました。いつも私の頭ってこうなのね。って、それは確か中原中也さんで、どれどれと熱いコーヒー片手に確認する夕べとなりました。田舎のおばあちゃんが、大学も受からず二浪が決まったのに、お祝いってことで、その春に買ってくれた角川書店の『中原中也全集』の一巻を取り出す。懐かしいです。背表紙の裏に貼付けたレシートによると'74年4月21日、梅田紀伊国屋で買っている、1200円。ついでにエリュアールの詩集680円も買っている、この値段からすると現代詩人文庫でありますな。ずいぶんと安い、この時代に戻ってくれぬものか......。
調べてみると、放哉さんと関連して、頭の中に浮かんでいたのは、詩集『山羊の歌』の中の[憔悴]の一節、
ひょとしたなら昔から
おれの手に負へたのはこの怠惰だけだったかもしれぬ
真面目な希望も その怠惰の中から
憧憬したのにすぎなかったかもしれぬ
あゝ それにしてもそれにしても
ゆめみるだけの 男になろうとはおもはなかった!
でありました。この場合[塩ふれ]が[ゆめみるだけ]に、[生んだか]の[か]が[おもはなかった]に自動リンクしているように思われます。それと[手に負へた〜怠惰][真面目な希望〜怠惰の中から]あたりが、リンクを生み出背景になっていますね。リハビリなるね、こりゃ、まるで内観法でねぇの......
で、話はがらりと変わります。私も、奥さんのお咲さんも、とにかく片付けが苦手なんで、お互い少々のテーブル上の混乱は気にしません。お咲さんは、食事をするスペースを食卓の上にちゃんと確保しています。私が使っていると[使います]と言うのであります。で、私の食卓というと、ここ十年ほどは風呂場の椅子です。きゃっ(*o*) 言ってしまった。昔の木でできた、鳥居を小さくしたような、アレです。もう知らない人が多いかもしれんね。フローリングに小さな鳥居を置いてご飯を食べるのである、えっへん、ありがたいことであるよのぅ。というか、片付けないから、そのような状況に追い込まれただけなのでありんす....とほほ。
んで、昨夜、茄子と豆腐とうす揚げのみそ汁を作って、その鳥居で食べていたのですが、咲きサングンがスラッカンに行って何かしています。私は、うっかり、だしの素を入れるのを忘れておったのです。サングン、スラッカンについては、http://www3.nhk.or.jp/kaigai/gtv/chikai/story/story_22.html
そういえば、藤井クリニックで、これからは、アルコール依存症の回復のためには認知症の治療法も取り入れていかねばならないと、言ってはりました.......(`人´)南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏......今日はだしを忘れずに入れて、ぶなしめじのみそ汁を完成させるぞ、おーっ!
今日のながらCD
BADFINGER BBC IN CONCERT/BADFINGER
今日の一文
純粋とはこの世でひとつの病気です
オンディーヌの中の一文 吉原幸子
by alglider
| 2006-04-23 16:51
| 日々是口実