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神無月尽日    一首

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23:16



口 惜 し き 一 つ ひ と つ を 埋 葬 す オ リ オ ン 果 つ る 野 辺 も あ り な ん



くちおしきひとつひとつをまいそうすおりおんはつるのべもあえりなん



 十月


 廿六日午後10時10分に義母が亡くなった。お咲きさんが見舞いから帰って来てから、10分もたたないうちに「急変」の知らせが届いた。二人で電車に飛び乗り、最寄り駅からタクシーを走らせる。すぐにICUに通されたが、人工呼吸器で胸が上下しているものの、すでに心臓の波形は平坦であった。私たちが到着するまでの医者の計らいである。敗血症による急変の説明を聞き、人工呼吸器が止められ、死の宣告がなされた。小さく声を出し少しだけお咲きさんは泣いた。見舞い後の急変というのは「さっきまで生きていたのに」という思いを強くさせ、傍から見ていてもつらい。「あなたのせいではない」という分かり切った言葉はとても口に出せない。


 早速、葬儀社の手配に取り掛からなければならず、感傷に浸る間もなく事務的なやり取りの声が誰もいない病院のロビーに響く。なんと残酷であるか!とも言えるが、事務的なことはいろんなことを一時忘れさせてくれる。お咲きさんにいつ大きな感情の空白が訪れたかを私は知らない。一日を置いて28日に通夜をして29日が告別式となった。娘さんが結婚する相手が告別式に参加してくれ、すでに親戚かのように(笑)お棺に花をいっぱい手向けてくれたのだった。親戚縁者を火葬場まで車で乗せてくれたりして、思わぬお婿殿のお披露目になってしまった。概ねというか、とても評判がよく、出棺のときも男手の一人として手を添えてくれ義母も安心して逝ったであろう。




 とにかく葬儀というものは疲れるものだ、と知った。自分の両親の時はお酒の酔いに任せて、というかずっと酒を飲んでいた。感情が不安定なところがあるから「(私の)お母さんが亡くなったとき、変な言い方やけどアルコールで乗り切れたんやろね」というのは40年以上付き合いのあるBEATNIKSさんの言葉である。BEATNIKSさんもお母さんを亡くしたばかりで、私からの一報を知ったときの返事のメールの出足が「ああ、大変だ」だった。大変なのはお咲きさんである。今日は義母がお世話になっていた介護施設の片付けに行って、夜はフィギュアのカナダグランプリを見ていたが、どういった感情なのだろう。推し測れるのが夫婦だというのは、世間の質の悪い嘘だ。奥の奥まで分からないから洗練された儀礼的な言葉があって、一人深く入っていくために詩歌はある。お咲きさんは介護施設へ、私はお世話になった病院へ支払いへ、と桃太郎のような一日が終わったのだった。



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 義母が入院していた病院の近くにある肉そば丸源。今日でもう訪れることもない。食べ納めかと担々麺と餃子を再び食してきた。



 そんなこんな。





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Commented by kanrinin-yuko at 2015-11-01 08:36
パンタタさん

お疲れさまでした。
この文章を読みながら母が亡くなった夜のことをまた思ってました。
Commented by alglider at 2015-11-01 23:13
ユウコさんへ

カンガルーのブログ読みました。
若くしてお母様を亡くしてるんですね。
記憶の仕方がユウコさんらしく、
それが支えになるんでしょうね。

パンタタ☮

by alglider | 2015-10-31 21:45 | 短歌 | Comments(2)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


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