軽い熱中症で 一首
2017年 07月 23日
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15:47
い っ ぱ い の 水 を も と め る 身 体 あ り 朝 の ひ か り 昼 の 木 漏 れ 日
いっぱいのみずをもとめるからだりあしたのひかりひるのこもれび
私が
寝ている部屋はエアコンがなく、扇風機でなんとかやっている。夜中に暑苦しかったらタイマーの切れた扇風機に手を伸ばし、またスイッチを入れる。夜を通して3回ほどそんなことがある。で、今日は昼まで寝ていたのだけれど、何だか調子が悪い。軽い熱中症だなあ、これは。お咲きさんがポカリスエットの粉末があったはず、と探してくれた。今、パソコンの部屋をガンガン冷やしながら、水分補給中。
歌人の吉川みほさんから『汀の時』の評がメールで届いた。許可を得て下に掲載する。
先日葉ね文庫さんにひさしぶりに伺う事ができました。葉ね文庫さんのおかげで、出会わなかったかもしれない本や人と、出会うことができてうれしくもあり、やはり文芸はわたしには遠くもあるな〜、と日々揺れ動いています。
そんな中で『汀の時』を購入しました。まだ数年程度ですが、詩や短歌の本を読んで思うのは、ここに居ながらにして遠くへゆけるような、(わたしは勝手に「トリップ感」と言っています)短歌にもそういう感覚を得ることがあるのを知って、歌集を求めたり、拙いながらも実作をしてみたくなったのでした。 うまく言えないのですが、『汀の時』には、静かに流れる「トリップ感」があり、(「あさがおの花にさまよう蟻」も「片身の魚」「秋天の舟」「日曜のユンボ」にも、わたしはなることができる!)言葉を磨いたら、最終的に言葉にできないその「ある感覚」が残るのだとおもいました。たくさんの「汀」があって、そのなかにグラデーションが様々にあり、常に途中にいるのだと。
以前にもメールで触れたのですが、「透きとおるエレベーター」の短歌、やはり好きな歌です。「透きとおるエレベーターで昇りゆくとき」に三半規管に生じる、注射器の中を吸い上げられ、時間を逆行し、我を失うような、不安定な感覚。その時に「性差」は消えてしまう(「泣きたくなるの」は女性言葉ではなく子どもの言葉づかいとして、わたしは読んだのだと気付きました)。その一瞬に感じるわけのわからない根源的「かなしみ」だから「ひたすら泣きたくなる」んだ。と、初読時に自然にそのような感覚がスッと入ってきました。
音楽も詩や短歌も結局最後には残るその感覚が好きかどうか、が自分とっての大事なもので、そういう意味でわたしは『汀の時』を何度も読むことになりそうです。装丁や文字組、帯など本作りにも、いろいろ制約はあることと思いますが、隅々にこだわっている事が伝わりました。本文が紺色。すごくいいですね。(詩は文字組や余白で見え方が全然違いますね。)
また、お会いできましたら、お話聞かせて下さい。感じるところがあり、長々と書いてしまいました。一番お伝えしたかったのは。あの歌集のなかで、常に境界(汀)にいて揺らぎながら運ばれていく感覚を得た、ということでした。
吉川みほさんには歌集『行き先の思い出せないバス』(←クリック)がある。ぱらぱらとめくって三首選んでみた。
行き先の思い出せないバスに乗りほらまたひとり迷子になった
空想の迷宮めいた旧漢字「澁澤龍彦」の中 彷徨う
「ひまわりの種さしあげます」この夏の欠片を分け合っている 静かに
人は常に小さな喪失感と一緒にいるのだなと思う。それは幸せを損ねてしまうほどわるいことじゃない、とこの歌集は教えてくれる。
で、私の歌集の方もぼちぼち動いております。先日は見知らぬ電話番号からの着信履歴があり、仕事の休憩時間に折り返しかけてみたら、歌人の道浦母都子さんからだった。月光の会から歌集を送ったのは知っていたので、いつか折を見て感想をお聞きしたいとこっちが思っていたところだったので、たいそう驚いて、かつ、恐縮した。「歌集読みましたよ。いい歌集ですね」と言われて、9月の歌会で集まっている人に(よかったら)買ってもらって、その次の歌会で五首選なりの批評会をしましょうとのこと。ありがたや。もうすぐ八月。鎮魂の月でもある。『汀の時』に八月の歌は多い。
『汀の時』好評発売中。直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。amazonでの販売はもう少しお待ちください。
そんなこんな。
只今のながらMUSIC
THE DIVINE MISS M / BETTE MIDLER
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15:47
い っ ぱ い の 水 を も と め る 身 体 あ り 朝 の ひ か り 昼 の 木 漏 れ 日
いっぱいのみずをもとめるからだりあしたのひかりひるのこもれび
私が
寝ている部屋はエアコンがなく、扇風機でなんとかやっている。夜中に暑苦しかったらタイマーの切れた扇風機に手を伸ばし、またスイッチを入れる。夜を通して3回ほどそんなことがある。で、今日は昼まで寝ていたのだけれど、何だか調子が悪い。軽い熱中症だなあ、これは。お咲きさんがポカリスエットの粉末があったはず、と探してくれた。今、パソコンの部屋をガンガン冷やしながら、水分補給中。
歌人の吉川みほさんから『汀の時』の評がメールで届いた。許可を得て下に掲載する。
先日葉ね文庫さんにひさしぶりに伺う事ができました。葉ね文庫さんのおかげで、出会わなかったかもしれない本や人と、出会うことができてうれしくもあり、やはり文芸はわたしには遠くもあるな〜、と日々揺れ動いています。
そんな中で『汀の時』を購入しました。まだ数年程度ですが、詩や短歌の本を読んで思うのは、ここに居ながらにして遠くへゆけるような、(わたしは勝手に「トリップ感」と言っています)短歌にもそういう感覚を得ることがあるのを知って、歌集を求めたり、拙いながらも実作をしてみたくなったのでした。 うまく言えないのですが、『汀の時』には、静かに流れる「トリップ感」があり、(「あさがおの花にさまよう蟻」も「片身の魚」「秋天の舟」「日曜のユンボ」にも、わたしはなることができる!)言葉を磨いたら、最終的に言葉にできないその「ある感覚」が残るのだとおもいました。たくさんの「汀」があって、そのなかにグラデーションが様々にあり、常に途中にいるのだと。
以前にもメールで触れたのですが、「透きとおるエレベーター」の短歌、やはり好きな歌です。「透きとおるエレベーターで昇りゆくとき」に三半規管に生じる、注射器の中を吸い上げられ、時間を逆行し、我を失うような、不安定な感覚。その時に「性差」は消えてしまう(「泣きたくなるの」は女性言葉ではなく子どもの言葉づかいとして、わたしは読んだのだと気付きました)。その一瞬に感じるわけのわからない根源的「かなしみ」だから「ひたすら泣きたくなる」んだ。と、初読時に自然にそのような感覚がスッと入ってきました。
音楽も詩や短歌も結局最後には残るその感覚が好きかどうか、が自分とっての大事なもので、そういう意味でわたしは『汀の時』を何度も読むことになりそうです。装丁や文字組、帯など本作りにも、いろいろ制約はあることと思いますが、隅々にこだわっている事が伝わりました。本文が紺色。すごくいいですね。(詩は文字組や余白で見え方が全然違いますね。)
また、お会いできましたら、お話聞かせて下さい。感じるところがあり、長々と書いてしまいました。一番お伝えしたかったのは。あの歌集のなかで、常に境界(汀)にいて揺らぎながら運ばれていく感覚を得た、ということでした。
吉川みほさんには歌集『行き先の思い出せないバス』(←クリック)がある。ぱらぱらとめくって三首選んでみた。
行き先の思い出せないバスに乗りほらまたひとり迷子になった
空想の迷宮めいた旧漢字「澁澤龍彦」の中 彷徨う
「ひまわりの種さしあげます」この夏の欠片を分け合っている 静かに
人は常に小さな喪失感と一緒にいるのだなと思う。それは幸せを損ねてしまうほどわるいことじゃない、とこの歌集は教えてくれる。
で、私の歌集の方もぼちぼち動いております。先日は見知らぬ電話番号からの着信履歴があり、仕事の休憩時間に折り返しかけてみたら、歌人の道浦母都子さんからだった。月光の会から歌集を送ったのは知っていたので、いつか折を見て感想をお聞きしたいとこっちが思っていたところだったので、たいそう驚いて、かつ、恐縮した。「歌集読みましたよ。いい歌集ですね」と言われて、9月の歌会で集まっている人に(よかったら)買ってもらって、その次の歌会で五首選なりの批評会をしましょうとのこと。ありがたや。もうすぐ八月。鎮魂の月でもある。『汀の時』に八月の歌は多い。
『汀の時』好評発売中。直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。amazonでの販売はもう少しお待ちください。
そんなこんな。
只今のながらMUSIC
THE DIVINE MISS M / BETTE MIDLER
by alglider
| 2017-07-23 14:56
| 短歌