八月葉月六日 一首
2017年 08月 06日
■
20:37
無 防 備 の 思 い が 焼 け る 炎 天 に き み 立 ち の ぼ り 夏 は い よ い よ
むぼうびのおもいがやけるえんてんにきみたちのぼりなつはいよいよ
午前中に
新しいエアコンがやってきた。私は冷房ギンギン派だが、お咲きさんはそうでもない。送風状態だった古いエアコンよりずっとましだけれども、新しいエアコンはゆるゆると動いている。からっとした風が吹き温度も高く、洗濯物が1時間ほどで乾く天気だったけれど、すぐ取り入れなくて、ゆるゆるとのんびりしていたら、思わぬ日照り雷雨で、大粒の雨風に洗濯物が濡れてしまった。また今、青空状態で洗濯物、乾き中。
かばん・cahiers・舟の会に所属の歌人、とみいえひろこさんがご自身の短歌的考察を書き綴っているnoteに歌集『汀の時』の感想を掲載された。まだ途中の段階の気がするけれどどうだろう? ま、すべては途中であるけれど。許可を得て下に転載する。
窪田政男『汀の時』(月光文庫 Ⅳ)
サングラス外すことなき八月の焼かれし眼より伸びる蔓草
舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり
交わすべき言葉を捨てた舌打ちが合図のように日照雨降りくる
いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど
白皿に片身の魚もうこれはわたしではないあなたでもない
雨の夜のわたしはわたしと二人づれ一人は濡れて一人は歌を
待つのだよ胸処の芯に火をともし夜明けと呼べぬ朝が来るとも
降る雨に思いを合わせ数えれば指折りがたき春のさまざま
さようなら三度となえる水無月の海は海へとつながりて雨
−−以降の海(雨の神戸港より)
この仕事が終わったら感想メモしておこう、そんなのがいくつか×何度も重なってしかたがないので、少しずつメモしていこう。
そして、ためらい、後ずさりし、揺れては分裂して食い下がり、そのようないつも背中ばかりを残すこの歌集には、そんな関わり方が似合うようにも思う。
付箋をしがみつかせ戦がせては、自分のところにかえってくる思いを魚の骨のように外していくのが。
歌集は愛されて読む者のものになってしまう、と、この本の前に岩尾淳子さんの『岸』を読んだときにそう思った。そのつもりで、『汀の時』を自分のものにして読んでいる。読むときは、読むときだけはひとりであるもの。「だけ」をわたしは今は増やしていきたいのだろう。
雑踏や音楽と一緒に読んでもこんなに読め、心に食い込んでくる歌集ははじめて出会ったかもしれないな、跋の饒舌な印象がこんなに残りながらも、受け取った世界観がそのまますっくりとあざやかに、濃く匂う歌集もはじめてだなと思う。
神戸のことを今、自分が読むことができてほんとうにうれしい。ほかの歌集でも、同人誌でもそう。たしかに、そうです、そうでしたと思う、わたしも、自分なりに居合わせ、言葉をなくした。そりゃあ、もっと長く、いろいろなことが止まっていて、心にさまざま残り、ひっかかり、つっかえる。
ある背中を見つめつづけているような感覚や、ずっとむかしに放ったこだまを待つような思いを思い出せそうな感覚や。
かなしみのようなものを見つめつづけているうち、瞳の普段の機能が邪魔になり、ぶるぶると震えて割れ、脱皮してわたしはいつかの蝉になる。八月はいつまでもあり、事件があり、思い、見送り、流し、諦め、蔓草は伸びる。
諦めを得てなお、触れればかえってくる手応えがいつも必ずある。その手応えにいつも含まれているために、汀の人が見つめて抱えようとするものがある。わたしがわたしに罪や咎を与えるという方法、歌うもうひとりがひとりきりで歌う、幽霊のような方法や様式をもって、汀の人は見つめたり抱えたり、汀の向こうや時に語らせたりすることができる。
妙に背後の脇のところからすーっと風が当たり続けているような感覚で読んでいる。
ぼく、わたし、一人、おれ、男。誰も、何者かになりつづけていなければいけないわけはまったくなく、章立ての英語もそれぞれ曲名だったりするのだろうか。構成の細かなところがとっても自然でこちらも力が抜ける、のに、繊細でカチッと決まっていてお洒落。存在感ある。と思ったらふと感覚を終えなくなる。汀の、時の、存在感、とは、このような感覚なのか。
夏至を過ぎ、一日の長さが短くなってきた。何だか寂しいなあ、と思っていたら、もうヒグラシが鳴いているではないか。終戦日はまだけたたましい蝉の鳴き声の中にあるというのに。今日は広島で原爆が人類に初めて使われた日。詩客の森川雅美さんから詩の原稿依頼をいただく。短歌は担当が違うとか、まあ、それはそれが実力ということだろう。詩の依頼を受けようと思う。
歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。
そんなこんな。
只今のながらMUSIC
HALFPLUGGED / QUIDAM
20:37
無 防 備 の 思 い が 焼 け る 炎 天 に き み 立 ち の ぼ り 夏 は い よ い よ
むぼうびのおもいがやけるえんてんにきみたちのぼりなつはいよいよ
午前中に
新しいエアコンがやってきた。私は冷房ギンギン派だが、お咲きさんはそうでもない。送風状態だった古いエアコンよりずっとましだけれども、新しいエアコンはゆるゆると動いている。からっとした風が吹き温度も高く、洗濯物が1時間ほどで乾く天気だったけれど、すぐ取り入れなくて、ゆるゆるとのんびりしていたら、思わぬ日照り雷雨で、大粒の雨風に洗濯物が濡れてしまった。また今、青空状態で洗濯物、乾き中。
かばん・cahiers・舟の会に所属の歌人、とみいえひろこさんがご自身の短歌的考察を書き綴っているnoteに歌集『汀の時』の感想を掲載された。まだ途中の段階の気がするけれどどうだろう? ま、すべては途中であるけれど。許可を得て下に転載する。
窪田政男『汀の時』(月光文庫 Ⅳ)
サングラス外すことなき八月の焼かれし眼より伸びる蔓草
舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり
交わすべき言葉を捨てた舌打ちが合図のように日照雨降りくる
いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど
白皿に片身の魚もうこれはわたしではないあなたでもない
雨の夜のわたしはわたしと二人づれ一人は濡れて一人は歌を
待つのだよ胸処の芯に火をともし夜明けと呼べぬ朝が来るとも
降る雨に思いを合わせ数えれば指折りがたき春のさまざま
さようなら三度となえる水無月の海は海へとつながりて雨
−−以降の海(雨の神戸港より)
この仕事が終わったら感想メモしておこう、そんなのがいくつか×何度も重なってしかたがないので、少しずつメモしていこう。
そして、ためらい、後ずさりし、揺れては分裂して食い下がり、そのようないつも背中ばかりを残すこの歌集には、そんな関わり方が似合うようにも思う。
付箋をしがみつかせ戦がせては、自分のところにかえってくる思いを魚の骨のように外していくのが。
歌集は愛されて読む者のものになってしまう、と、この本の前に岩尾淳子さんの『岸』を読んだときにそう思った。そのつもりで、『汀の時』を自分のものにして読んでいる。読むときは、読むときだけはひとりであるもの。「だけ」をわたしは今は増やしていきたいのだろう。
雑踏や音楽と一緒に読んでもこんなに読め、心に食い込んでくる歌集ははじめて出会ったかもしれないな、跋の饒舌な印象がこんなに残りながらも、受け取った世界観がそのまますっくりとあざやかに、濃く匂う歌集もはじめてだなと思う。
神戸のことを今、自分が読むことができてほんとうにうれしい。ほかの歌集でも、同人誌でもそう。たしかに、そうです、そうでしたと思う、わたしも、自分なりに居合わせ、言葉をなくした。そりゃあ、もっと長く、いろいろなことが止まっていて、心にさまざま残り、ひっかかり、つっかえる。
ある背中を見つめつづけているような感覚や、ずっとむかしに放ったこだまを待つような思いを思い出せそうな感覚や。
かなしみのようなものを見つめつづけているうち、瞳の普段の機能が邪魔になり、ぶるぶると震えて割れ、脱皮してわたしはいつかの蝉になる。八月はいつまでもあり、事件があり、思い、見送り、流し、諦め、蔓草は伸びる。
諦めを得てなお、触れればかえってくる手応えがいつも必ずある。その手応えにいつも含まれているために、汀の人が見つめて抱えようとするものがある。わたしがわたしに罪や咎を与えるという方法、歌うもうひとりがひとりきりで歌う、幽霊のような方法や様式をもって、汀の人は見つめたり抱えたり、汀の向こうや時に語らせたりすることができる。
妙に背後の脇のところからすーっと風が当たり続けているような感覚で読んでいる。
ぼく、わたし、一人、おれ、男。誰も、何者かになりつづけていなければいけないわけはまったくなく、章立ての英語もそれぞれ曲名だったりするのだろうか。構成の細かなところがとっても自然でこちらも力が抜ける、のに、繊細でカチッと決まっていてお洒落。存在感ある。と思ったらふと感覚を終えなくなる。汀の、時の、存在感、とは、このような感覚なのか。
夏至を過ぎ、一日の長さが短くなってきた。何だか寂しいなあ、と思っていたら、もうヒグラシが鳴いているではないか。終戦日はまだけたたましい蝉の鳴き声の中にあるというのに。今日は広島で原爆が人類に初めて使われた日。詩客の森川雅美さんから詩の原稿依頼をいただく。短歌は担当が違うとか、まあ、それはそれが実力ということだろう。詩の依頼を受けようと思う。
歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。
そんなこんな。
只今のながらMUSIC
HALFPLUGGED / QUIDAM
by alglider
| 2017-08-06 19:36
| 短歌