つくつくぼうしが鳴きはじめた 一首
2017年 08月 20日
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17:01
あ あ 、 あ あ と 雷 雲 あ お ぎ 後 ず さ る 青 の き り ぎ し 空 の き ざ は し
ああ、ああとらいうんあおぎあとずさるあおのきりぎしそらのきざはし
いまいち 体調は優れない。いろいろと用事が重なってペインクリニックへ行けず、薬が切れていることが一つ。これは明日、早引きをしてクリニックへ。もう一つは用事が重なっていること自体がちょっと落ち着きを失わせる。ながらみ書房が出している短歌月刊誌「短歌往来」9月号の「全国“往来”情報」の今月のスポット欄に『汀の時』の評が載った。長文でよく読み込んでくださっている。短歌の評というのは意外な方向からなされることがままあって、この評も思わぬところから歌を支えてくれるものだった。勉強になる。次回、写真がうまく撮れたらアップします。
短歌同人誌cahiersカイエ / 未来短歌会 夏韻集短歌結社「未来」所属の草野浩一君が自身のブログで『汀の時』に触れてくれた。許可を得て下に転載する。
『汀の時』窪田政男さんの第一歌集
ああ、窪田さんだなと思うようなこだわりというか美意識が歌集の装丁にもあって、表紙のややぼやけたビル群の景色。本文に使用されているインクの色が浅葱色(正しくはわかりません)があわくやわらかさをかもし出している。
ふだんお会いする窪田さんのようにしずかに間をおきながら語りだす。ご自身をふりかえりつつ、いる人、いない人に語りかけるような。あの時と今を行きかうような、ふうっと遠くをみるそんな眼差しが浮かびました。アルコール依存症の治療を受け断酒を続けるなか、はじめは詩を書いていたこと、はじめて知りました。でも詩は延々に終わりがなく、その日、その時、感じたことを表す短歌をはじめたことも。
その数年後には胸椎硬膜外血腫という病にかかり、緊急入院された知らせを歌友からいただいた時は驚きました 。さらには骨髄増殖性腫瘍という病。
歌集の印象は諦念からくる追憶と一度、二度、と何度か視野にかすめた死というものをしずかに見つめる。たんに悔い立ちどまるのではなく、祈りや、生きるをうたうそんなことを感じました。
ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき
透きとおるエレベーターが暗示するもの、地上から離れ昇りゆく時に目に映るもの。
近くに見えていた、花や木、動く人々や車、高架を走る電車も、徐々に小さくなり同じ高さのビル、灯、遠くの山、広がる海も見えてくるかもしれない。ひたすらに泣きたくなるのは離れゆくことのこのうえない孤独、寂しさ。
なんどか読むうちにとても気になっていた事があって、それは表紙の写真のボヤけたビル群。歌集題名の『汀の時』と、どうも受けるイメージが一致しなかったんだけど。あの表紙の風景はこの一首とシンクロしているような気がしてきました。
〜好きな歌をいくつか〜
地下茎の眠りを覚ますわたくしの物語となる雨ふりはじむ
天高くボールを投げて一人受くいつか逝く日を知るかのように
いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど
ここからは致命傷なの指切りの指で引かれる切り取り線
懐かしいなどとほざいて振り向けばタールのような夜がきている
誘われて逝くのであればそれはもう存外のことでした母さん
黙祷とプールの匂い八月へ電車はゆけりまぶしき中を
水平にひらく海へと風のゆくわれは失語の旗でありけり
残すもの何ひとつなくゆずり葉のただ生い繁る無風水無月
遠く降る雨の匂いと思うほど静かにそろう前髪がある
ペティナイフ水蜜桃の香のみちてきみの晒せる背なか見ている
差しこめる夕日を今日の栞としきみの駅まであと二つほど
電車にゆられ今日という日をふりかえる、「今日」は「生きる」に通じる。ふと視線をずらすと車窓から差しこめる夕日。乗客はまばらであわいひかりに包まれたような静かな空間を思った。煩わしい一日だったのだろうか、きみの駅まであと二つほど、の「あと」が待ち遠しくひびくも、「ほど」が曖昧でおぼろげ。この「きみの駅」に降りるのだろうか、この「きみ」に会いに行くのだろうか、今もここに住んでいるのだろうか。いずれにしても上句の気怠さから「きみの駅まであと二つほど」がどうも寂しく思える。
歌会ではじめて読んだときから、推敲なされていますが、ふと口からこぼれでたようなこの歌がわたしは好きで、よく思い浮かべる。
歌集の最後におかれた一首。
ゆくだろう人恋うことも捨つるのもかなわぬ夜が寄せるみぎわ
丸い眼鏡に帽子かぶり、リュックを背負い、杖をつきつつ、こつこつと静かな音をひびかせて歩く姿をこれからも見せてください。
窪田さん第一歌集『汀の時』上梓 おめでとうごさいます。ますますのご活躍を祈りつつ、窪田さんの背中を追っかけなきゃな。
事務手続きの関係で送れていたamazonでの取り扱いが始まりました。『汀の時』(←クリック)よろしくお願いします。
また、短歌を続けることを見守っていてくれた、天満ガーデン・カフェの中野ひろ子ちゃんの旦那さんがやってる古本屋さん「駄楽屋書房」(天神橋三丁目)さんにも歌集『汀の時』を置いてもらいました。近くの方は手に取ってご覧いただけます。駄楽屋書房(←クリック)よろしくお願いします。
歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫(←クリック)でどうぞ。栞も付きます。
そんなこんな。
只今のながらMUSIC
IS THE IS ARE / DIIV
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17:01
あ あ 、 あ あ と 雷 雲 あ お ぎ 後 ず さ る 青 の き り ぎ し 空 の き ざ は し
ああ、ああとらいうんあおぎあとずさるあおのきりぎしそらのきざはし
いまいち 体調は優れない。いろいろと用事が重なってペインクリニックへ行けず、薬が切れていることが一つ。これは明日、早引きをしてクリニックへ。もう一つは用事が重なっていること自体がちょっと落ち着きを失わせる。ながらみ書房が出している短歌月刊誌「短歌往来」9月号の「全国“往来”情報」の今月のスポット欄に『汀の時』の評が載った。長文でよく読み込んでくださっている。短歌の評というのは意外な方向からなされることがままあって、この評も思わぬところから歌を支えてくれるものだった。勉強になる。次回、写真がうまく撮れたらアップします。
短歌同人誌cahiersカイエ / 未来短歌会 夏韻集短歌結社「未来」所属の草野浩一君が自身のブログで『汀の時』に触れてくれた。許可を得て下に転載する。
『汀の時』窪田政男さんの第一歌集
ああ、窪田さんだなと思うようなこだわりというか美意識が歌集の装丁にもあって、表紙のややぼやけたビル群の景色。本文に使用されているインクの色が浅葱色(正しくはわかりません)があわくやわらかさをかもし出している。
ふだんお会いする窪田さんのようにしずかに間をおきながら語りだす。ご自身をふりかえりつつ、いる人、いない人に語りかけるような。あの時と今を行きかうような、ふうっと遠くをみるそんな眼差しが浮かびました。アルコール依存症の治療を受け断酒を続けるなか、はじめは詩を書いていたこと、はじめて知りました。でも詩は延々に終わりがなく、その日、その時、感じたことを表す短歌をはじめたことも。
その数年後には胸椎硬膜外血腫という病にかかり、緊急入院された知らせを歌友からいただいた時は驚きました 。さらには骨髄増殖性腫瘍という病。
歌集の印象は諦念からくる追憶と一度、二度、と何度か視野にかすめた死というものをしずかに見つめる。たんに悔い立ちどまるのではなく、祈りや、生きるをうたうそんなことを感じました。
ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき
透きとおるエレベーターが暗示するもの、地上から離れ昇りゆく時に目に映るもの。
近くに見えていた、花や木、動く人々や車、高架を走る電車も、徐々に小さくなり同じ高さのビル、灯、遠くの山、広がる海も見えてくるかもしれない。ひたすらに泣きたくなるのは離れゆくことのこのうえない孤独、寂しさ。
なんどか読むうちにとても気になっていた事があって、それは表紙の写真のボヤけたビル群。歌集題名の『汀の時』と、どうも受けるイメージが一致しなかったんだけど。あの表紙の風景はこの一首とシンクロしているような気がしてきました。
〜好きな歌をいくつか〜
地下茎の眠りを覚ますわたくしの物語となる雨ふりはじむ
天高くボールを投げて一人受くいつか逝く日を知るかのように
いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど
ここからは致命傷なの指切りの指で引かれる切り取り線
懐かしいなどとほざいて振り向けばタールのような夜がきている
誘われて逝くのであればそれはもう存外のことでした母さん
黙祷とプールの匂い八月へ電車はゆけりまぶしき中を
水平にひらく海へと風のゆくわれは失語の旗でありけり
残すもの何ひとつなくゆずり葉のただ生い繁る無風水無月
遠く降る雨の匂いと思うほど静かにそろう前髪がある
ペティナイフ水蜜桃の香のみちてきみの晒せる背なか見ている
差しこめる夕日を今日の栞としきみの駅まであと二つほど
電車にゆられ今日という日をふりかえる、「今日」は「生きる」に通じる。ふと視線をずらすと車窓から差しこめる夕日。乗客はまばらであわいひかりに包まれたような静かな空間を思った。煩わしい一日だったのだろうか、きみの駅まであと二つほど、の「あと」が待ち遠しくひびくも、「ほど」が曖昧でおぼろげ。この「きみの駅」に降りるのだろうか、この「きみ」に会いに行くのだろうか、今もここに住んでいるのだろうか。いずれにしても上句の気怠さから「きみの駅まであと二つほど」がどうも寂しく思える。
歌会ではじめて読んだときから、推敲なされていますが、ふと口からこぼれでたようなこの歌がわたしは好きで、よく思い浮かべる。
歌集の最後におかれた一首。
ゆくだろう人恋うことも捨つるのもかなわぬ夜が寄せるみぎわ
丸い眼鏡に帽子かぶり、リュックを背負い、杖をつきつつ、こつこつと静かな音をひびかせて歩く姿をこれからも見せてください。
窪田さん第一歌集『汀の時』上梓 おめでとうごさいます。ますますのご活躍を祈りつつ、窪田さんの背中を追っかけなきゃな。
また、短歌を続けることを見守っていてくれた、天満ガーデン・カフェの中野ひろ子ちゃんの旦那さんがやってる古本屋さん「駄楽屋書房」(天神橋三丁目)さんにも歌集『汀の時』を置いてもらいました。近くの方は手に取ってご覧いただけます。駄楽屋書房(←クリック)よろしくお願いします。
そんなこんな。
IS THE IS ARE / DIIV
by alglider
| 2017-08-20 15:02
| 短歌