鬼のいぬ隠れんぼ

f0100480_19535754.jpg


 缶ビールを片手に歩いていた日を思い出させる晴天の一日でした。院内例会では発言を求められ、そんな日々を思い出して話しました。話ながら確信に至る、ということが体験談をやっていてあるのですが、今日は以下のようなことを見つけた。

 例会のテーマは[飲酒していたころに助けてほしかったこと]というものでした。一昨年ビールを飲みながらバイトをしていて、そこを辞めることになるのですが、仕事先に向かう大通りを(真夏で今日のような晴天だった)ビールを飲みながら歩いていく。ひと缶で済んでいたものが、その日無事に終わると、二三日後にはふた缶になる。そして、そんな日々がしばらく何ごともなく過ぎていくと三缶に、そして四缶にと増えていき、仕事中にも飲んでしまうようになっていた。止めたいのだが、日々は何ごともなく過ぎていく。自分では止められない状態で、結局は[飲んでいることを発見してほしかった]のだなぁ、と思い至った。心の中には葛藤があるのだが、何ごともなく過ぎていく........というか、表沙汰にならない日々が続く。アル中がよく言い合う言葉に[隠れ飲み]というのがある。「警察沙汰を起こしてからは、家ではもちろん人前では飲めなくなった。私の隠れ飲みの始まりです」というようなやつね。よく似たバージョン違いの話はワンサカワンサカとレナウン娘(古くてすみません)のようにあります。

 [........助けてほしかったこと]の言い回しとは直接繋がらないかも知れないが、[飲むための隠れ飲み]はまだまだ飲める段階で、[発見してほしくて隠れ飲み]をするようになっていたあの時が限界だったのだろうと、今からでも思う。私は、その[表沙汰]で自主入院を決めたのだった。鬼のいない隠れんぼはいつまでもできないのである。隠れ続けることに心が負けるのである。早く見つけて、と願いだし、いずれ自ら姿を表わすようになるのである。

 話は変わりますが、友人のK子さんが[水依存症]で入院しているので、見舞おうと思ったら、主治医と正面玄関でばったり出会い、その旨を告げると「あまり面会はよくない」と言う。先生は[水依存症]という言葉は使わずに[水に対する脅迫神経症]と言っていた。K子さんが、再飲酒を異常に恐れていたことを思い出した。多分、私の知っているどのアル中よりも再飲酒を恐れていた。私は「アル中だから飲んだ時は飲んだ時、気持ちの準備さえできていればそんなに恐れることはない」と言っていたのだけれども、アルコールを恐れる気持ちの隙間を水が埋めていったのかも知れない。彼女自らが拘束を申し入れ、ベッドから動かぬようにしてもらっているらしい。その覚悟に水を刺すことはできぬと、もう少し回復するまで面会を伸ばして帰ってきた。



今日のながらCD

SOLITUDE STANDING/SUZANNE VEGA


今日の一文

八月の馬乳のような陽を浴びて若き日は過ぐ過ぎて誘う          吉川宏志
[PR]
Commented by BEATNIKS at 2006-08-16 11:03 x
少しだけですが、君の心の中、葛藤とは少し違うけど、考え方も少し違うけど、あの飲んでいた頃の心の中が見えたように思いました。
お咲きさんのストレス、お察しします。人によって色々ですね。
円形や胃炎やジンマシンなどなど....。
Commented by パンタタヌキチ at 2006-08-16 21:44 x
BEATNICSさん
20代の若かりしころ、あんさんと飲みに行っていて、あまりに私が飲むものだから、ビール3本までと、あんさんに制限されたことを思い出しました。私のストレスは円形脱毛になって表れることがある。痛くも痒くもないから始末が悪い。
by alglider | 2006-08-15 19:53 | 回復過程 | Comments(2)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


by alglider
プロフィールを見る
画像一覧