人気ブログランキング | 話題のタグを見る

[室内、ストランゲーデ30番地] + 短歌

[室内、ストランゲーデ30番地] + 短歌_f0100480_5263876.jpg


06:31

 寝付かれず。

 昨日、寝たり起きたり寝たり寝たり寝たりしていたものだから、眠れず日記を書き始めた。偏頭痛はちょいと治まっているが、頚椎のヘルニアが痛みだしている。その上辺りが偏頭痛の震源地だから、もう何がなんやらワテほんまによう言わんわ状態。

 写真は[オルセー美術館展]に行った時に買ってきた絵葉書。ヴィルヘルム・ハンマースホイ1864-1916(知らなかった画家だ。チベットの白馬の飼い主みたいな名前ですね)の[室内、ストランゲーデ30番地]1904年、という作品。気に入ってしまって購入。デンマークのコペンハーゲン生まれ。フェルメールやテル・ボルフから影響を受けたとある。室内画(そんなジャンルあるんかいな?)を多く残した。

 印象派からずっと見ていって、第5章[幻想の世界へ]のスペースに展示されている。その前にスティーグリッツ等の写真が展示されていて、画家達が現実をどういった技法で描くかといった問題から、内面を見つめ描くスタンスに移っていったことが分かる。何のことはない、開け放たれた扉から室内を望む絵なのだが、灰皿も花瓶もノートもなにも置かれていないテーブル。誰がどのような生活をしているのか窺うことができない。そのテーブルにもクロスの輝き(このクロスの光の反射加減がフェルメールなのかしら.....)にも、そしてテーブルが落とす絨毯の上の影にも、何か[不在]の不安が忍び寄っている。そして、その[不在]は、誰かが潜んでいるかも知れない(扉のすぐ内側に、奥に見えるさ更なる扉の向こう)という、謎の[存在]で更に強調されている。多色を用いない、色褪せたセピアの写真のような色調で、光がもたらすものが光に因って色褪せるといったことで、人が暮らす空間もまた人に因って褪せるものだとも言っているようだ。ただ、この絵が語っているのはそれだけではなくて、実は作家がこの[不在]の部屋に[居る住人 1 ]で、なおかつ[観察者 2 ]であり、またその両者を[鳥瞰する者 3 ]であるという内面の幾重にも重なっためんどっちぃ定まりを持たない[不在]の現実だ。[椅子 1 ]と[開け放たれた扉 2 ]と[テーブルクロスの光りの反射 3 ]にそんなことをパズルして遊んでいると、また偏頭痛がぶり返してきた。早よ寝なはれ/

 短歌に似ているなぁ、と思う。これだけの要素でそこまで語れる。こんな[室内、ストランゲーデ30番地]のような短歌はとても作れないけれど、作ってみたい願望っ! 要素という言葉を書いて思い出したけれど、この前から読んでいる『リーマン博士の大予想』が遅々として進まない。素数の分布の話なんだけれども、短歌の[素]となる五、七、五、七、七はどれをとっても素数で、足した三十一文字もまた素数だ。
短歌って美しい。




sutanka

[不在]といふ居場所見つけて陽の溜るストランゲーデ30番地





只今のながらCD

Shepherd Moons/ enya
by alglider | 2007-01-05 05:26 | 日々是口実

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


by alglider
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31