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東京日記3 + 短歌

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23:39

 雨のアメ横は


 朝鮮語と中国語が飛び交う。日本語は声高に叫ぶ安売りの声ばかり。路地の中の路地のそのまた奥の路地を歩きゆく。地下にもぐって、蝋細工のような豚足と面身をかき分ける。


 「君の歌は文字の方が力がある」と福島泰樹さんが辰巳泰子さんに言う。ステージ上での話。居酒屋では「辰巳泰子は(朗読の)弟子にとらない」と言えば「弟子にしないと言われて私、うれしいわあ」と辰巳さんが言いつつ冷酒を一口飲む。「うれしいわあ」と言い、にこりと笑む辰巳さんが私は好きになった。そこにいつも辰巳さんの歌がある気がしていたのだ。


 アメ横には、大学生時代、恐山に一人旅して、帰り上野に立ち寄り、米軍放出品の靴と鞄を買った思い出がある。その鞄は、ひと昔前、模造品というかメーカーの大量生産品となって放出品ではなく流行の既製品となって随分と出回った。米軍デザインのきれいな鞄をみな肩から掛けるなかで、わたしのそれは煙硝の臭いがしていた。


 福島泰樹さんは足を悪くされて杖をついておられる。「その杖は砂子屋書房から出されたレコード『曇天』のときからですか?」と聞くと「あのころは杖ついてないよ」という返事。そういえば、あれは「曇天」というタイトルに合わせた長めの雨傘だった…….「学生運動の闘士たちは戦争を体験した世代の人たちと一緒に軍歌が歌えていたらよかったんだ、そうしたら違っていたんだ」と泰樹さん。そう考えたことが私にもあった。






火 炎 瓶 紅 蓮 燎 原 今 首 都 は 燃 え て い る か と 亡 霊 た ち は



かえんびんぐれんりょうげんいましゅとはもえているかとぼうれいたちは





只今のながらCD

BELLE EXCENTRIQUE / KAZUHIKO KATO

テキーラさん、これいいね。気に入ってます。ありがとう。
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Commented by おぽんち at 2008-06-07 01:32 x
火炎瓶の頃は知らないというか、小学生だった私ですが、なにか時代の空気みたいなものは感じました。
1970年でしたか、三島という字が読めず、「さんしま」と読んでいたころを思い出します。
Commented by パンタタ at 2008-06-07 22:37 x
おぽんちさんへ
当時、火炎瓶の作り方の書いた本までありましたね。
水平に投げないと危険っ!とか。
「さんしま」ですか? かわいいじゃないですか。
わざと遠回り。ふふ。
Commented by ボブ at 2008-06-07 23:13 x
三島。
高校の頃、登校したら生徒の出入り口に机があって、写真と線香立てがあって、「御冥福をお祈りするとともに、御無念を引き継ぎます」の文章があり、下校時まで撤去されていなかったことを思い出します。

かなり左系の学校だったのですね。今思うと。

そういえば、私、今も左翼文字、かけます(笑)
Commented by パンタタ at 2008-06-08 00:08 x
ボブさんへ
私にゲバ字書かしたらうまいよ。
ゲバ字のフォント作ろうと思ってたぐらいだから。
ま、学生運動とは関係なくデザインとして好きだったんだけど。
Commented by おぽんち at 2008-06-08 00:45 x
ゲバ字というのですか…。
初めて知りました。
私はあーゆー字、まるで書けません。
ゲバ字ときけば、ゲバゲバっぴーです(わかる人にはわかるだろうけどわからない人にはわからないかも)。
私の小学生の頃の大好きなテレビ番組でした。

さんしま、と読んでいたころは私は小学校1年生だったと思います。
新聞の大見出しを読んで読めなかったのでした。
もちろん、作品は読んでいませんでした。

中学生になってから読みましたが、なかなか読み進めなかったです。
Commented by パンタタ at 2008-06-08 01:12 x
おぽんちさんへ
そうゲバ字と言います。ゲバゲバ90分ですね。
私は中学生でしたね。
「さんしま」は1970年11月25日でしたね。
兄の誕生日だったんでよく覚えています。
先日、吉本隆明さんが書いた三島由紀夫さんへの
追悼文を読んでいました。感心しました。
by alglider | 2008-06-05 22:40 | 短歌 | Comments(6)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


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