カテゴリ:アルコールと自由( 28 )

アル中はハレンチ罪

f0100480_12554216.jpg

 ユダの福音書が見つかったらしい。金貨3枚でキリストを裏切ったユダにはそれなりの密約があったとか......ダン・ブラウン、新作ネタ一本見っけかっ!

 [仲間]という言葉を使うときに、断酒会の[仲間]だけでなく、アル中以前の仲間、友人たちのことが話題になることがあります。私も入院中に、喫煙室でボーッと一服くゆらしていると、[この病気になると、会社の同僚は見向きもしてくれない。会社のためだけに生きてきたから、同僚に見放されると、オレにはもう友達と呼べるヤツはいない......]と話されているのを、耳にしたことがあります。私は、会社のためだけに生きるなんてことはできなかった方だから、そのとき、[あぁ、そのような事態に陥るんだ]と、発見といえば変ですが、気づきました。

 会社の同僚だけが付き合いの全てで、家族には見放されていく、こうなるとやっぱり、断酒会やAAなどの自助会に参加しないと、孤独は酒を呼び込んでしまいます。[アル中はハレンチ罪]という言葉を聞いたのですが、以前勤めていた会社の同僚が、病院に見舞いに来てくれても[お前、なんちゅうアホなことしたんや]というメッセージを受け取るというのです。同じ人を殺してしまうのでも、止むに止まれぬ事情(?)が察知できるものと、アルコールによる幻覚で人を殺めてしまった人を比較(?)すると、アル中の方は[女風呂を覗いた]罪と同じくらいに[しょうむない][そんなことでアホやんけ]と片付けられてしまう傾向は確かにあります。

 私は、ちょいと特殊なのかも知れませんが、お酒を共に飲んでいた友人が支えです。断酒会でお酒を止めて、暮らしているわけですから、その暮らしの部分では、かつての飲み友達が私の[酒のない生活]を支えてくれています。入院した直後に面会にきてくれたのは、間接的ですが、入院の原因となった迷惑を被った当人でした。また、退院したときには、他の飲み友達から[僕は、酒を飲んでないあなたとも、うまくやっていけるよ]というメールをもらいました。退院を待っていてくれたのですね、嬉しい、というより心強かったですね。私は、友人の温情によって、なんとかハレンチ罪はまぬがれたようです。私の知る範囲での話ですが.........

 難しいことですが、立派なアル中として、生きていかないと[ハレンチ罪]の偏見はなくなりませんね。

只今のながらCD
rodstewartunplugged.....and seated/Rod Stewart
[PR]
by alglider | 2006-05-18 12:55 | アルコールと自由 | Comments(0)

断酒会用語

f0100480_16523759.jpg

 上の写真はJR西日本の[デスティネーション・キャンペーン鳥取]の吊り広告を携帯で撮ったもの。電車に揺られながら撮影したわりにはきれいだ。本人もびっくりです。周囲の人が[何する人ぞ]って視線を投げ掛けてきたが、水木しげるさんのサインがあまりにも美しくて、気に入ってしまった。んで、チロリンッ。惚れ惚れらーっ。

 都島断酒会の昼例会はAAのようにテーマを設定してやっている。今日はよくあるテーマだけれども[仲間(ありがとう)]というものだった。()内の[ありがとう]にテーマを設定した人の思いがよくでているのだけれど、それは割愛。ブログに書くのにうってつけのネタがたくさん拾えました。[アル中はハレンチ罪]っていうのが印象深いけれど、そのことは、また次の機会で。

 で、私はこの[仲間]という言葉が苦手である。盆踊の輪の中に入って踊るような気恥ずかしさを感じる。今日はそんな体験談をしてきた。普段口にするのは別として、断酒会で意識的に使うことには抵抗を感じるし、めったに、使わない。スリップも同様で使わない、再飲酒を用いる。めったに使わない、というのは代わりに用いるしっくりくる言葉が見つからないからだ。仮の代用品として[みんな]とか[断酒会会員]とかを使うことがある。そうそう、AAの[先ゆく仲間]って死んだ人のことですか? と、止め始めた人に尋ねられたことがあったが、回りでアル中は死ぬよーとか、今日仲間を亡くしました、なんてしょっちゅう聞かされていると、そういう誤解も生まれて当然です。

 確かに[仲間]が助けてくれる。具体的に苦しんでいるときに声をかけられ、助かることもある。家まで訪ねてもらったから命を落とさずにすんだ人もいる。でも[仲間]というのは、断酒会に参加したときの[場][空気]の総称のような気がする。アル中個人個人が集まって作りだす[安堵感]や[救済感]それが[自助]の大切なところで、記念大会などで[仲間とともに]なんて、大同団結を謳われると、ちょっと引いてしまう。違和感を禁じ得ない。大会で断酒会旗とともに日の丸が掲げられていたこともあって、私は帰ろうかと思った。旗に礼してなんの断酒だ。一方で[仲間]を謳い、もう一方で旗という偶像に頭を下げる矛盾をどう考えているのだろう? 上意下達の会社でアル中になった人も多かろうに、何をサーラスポンダ、レッセッセ

 んで、困ったことに、代用の言葉を探すのだが、なかなかしっくりくるものがない。だから[みなさん]などと、私はお茶を濁す。これは、[主人]や[嫁]を[つれあい]と言い換えて用いるのに感じる言葉の不安定さと同じものだと思う。慣用、文化になるまでの違和感かもしれないが無理を感じる今日この頃.........

 また、スリップにはどうもこの病気の為せる技のようなニュアンスを私は感じてやりきれない。あまりにも無抵抗な言葉なのだ。再飲酒にはまだ個人の意志が感じられる。止めるのも意志なら、飲むのも意志、と少しは意志の介在を認めないと、私は救われない気がするのだ。ゆだねる、とは不断の意志による意志の確認作業の上に成り立つものだ。でないと[ゆだねる]はすがりつきやすい安易な危険な言葉になってしまう。私はまだまだ為す術がないところまではいっていない。というところで今日はおわり.........

今日のながらCD
JOHNNY WINTER THE COLLECTION

今日の一文
海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手をひろげていたり        寺山修司



       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー

 
[PR]
by alglider | 2006-05-17 16:52 | アルコールと自由 | Comments(7)

衛生博覧会

f0100480_0334694.jpg

 私は古代文字ファンで、台湾へ仕事で行ったとき、時間を盗んで故宮博物館へ甲骨文字を見に行った。想像していたよりも、その文字は小さく4or5ミリ四方ぐらいか。それだけで、十分に現代と同じ文字の機能を果たしていたことが分かる。上の写真は、甲骨文字より遥かにさかのぼること3千年、中国安徽省で発見された古代文字。もちろん解読されていないが、なんだかアフリカや南アメリカにも通じる形象で私の興味は深まるばかり、ソワソワ..(^ ^;)

 閑話休題。5月10日の酒害相談講習では、何故か断煙の話が30分ほどあった。講師は和気浩三先生で隆三先生の息子さん、新生会病院の副医院長さんである。先生自身、断煙3年目(と言われていたと思う)だそうだ。同じ依存なのだから、まあよいというものだが、アルコール依存の回復に断煙が有効であるとかないとか、が医学的に曖昧で、いくら体への害、発癌率、国家医療費のン%を占めると言われても、そらそうですわなとピンとこなかった。

 私も経済的な理由が一番で煙草が止められたらなぁ、と(まだ)漠然と思っている依存者の一人であるが、なんか釈然としないものを感じた。分煙、断煙への趨勢は止められまい。それは、それでよいのである。私が感じているのは、釈然としないのは、そこに衛生的な脅迫を感じるのである。

 これは、断酒会に参加してからも同じものを感じていた。酒を飲まないこと、このことが、自分一人の営為から離れ、酒を止めさせる、酒のない社会観まで広がっていく。酒害を社会に啓蒙するのは酒害者として、やっていい(責任とは私は言わない)。煙草の害を喧伝するのもいい。しかし、ときどき私をやるせない気持ちにさせるのは、その行き着くさきが、すごく衛生的な世の中だからだ。煙草を止めた人が「この前、レストランで煙草を吸う人がいてね....服に臭いが付いて家に帰ってから云々」と、困った顔をし、極悪人を見てきたように言うのを聞いて、それは、ちゃうやろと思った。酒を止め続ける毎日を送っていて思うのは、断酒会という止めている人々と共にいる時間を過ごすというのもそうだが、何よりも自分への問いかけや個の闇の部分をくぐり抜けていく作業が必要なのだ、ということだ。必要なのは、ネズミやゴキブリのいない衛生的な世界から語られる言葉ではなくて、自分という非衛生的な不条理の闇をくぐり抜けてきた言葉だ。

 ちょっと前、ウンコが無臭になる錠剤が売り出されたけれど売れているのかな。口臭スプレー、制汗剤などなど、なんの臭いもしない、じゃなくて薬の芳香の世の中が来るのだろうか。汗の臭いのしないSEX、臭いのしないアル中が吐いたゲロ......やだやだやだやだ矢田亜希子......

 先の酒害相談講習で煙草の害を宣伝するビデオも流された。煙草で喉頭癌になり摘出手術を受けた女性が煙草を止められず、喉元に穴を開け、そこから煙りを吸い吐きだす、というものだ。私だけかも知れないが、私にはその女性が恍惚とした表情で幸せそうに見えた。グロテスクなものを見せて、キャンペーンにする手法は、大正時代にあった衛生博覧会を思わせる。陰を取り除いて光りの側からのみ語られる言葉は、優性的思考のファシズムの言葉だと思う。

http://www.t3.rim.or.jp/~s-muraka/dokusho/kuni0.html衛生博覧会をいろいろ調べていたら、こんなん見付けました。さてさて......

今日のながらCD
STRANGE DAYS/THE doors

今日の一文
或る非常に危険な状態におかれたるそれだけの魅力でけふも生きてゐる
                                   加藤克巳

       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-13 00:33 | アルコールと自由 | Comments(0)

猫丑寅卯辰巳午未申酉戌亥.............昂

f0100480_17403599.jpg

 今日は転院をして、初めて診察を受けてきた。といっても、ちょっとややこしくて、A→B→Aと元の病院にもどったわけです。でも6年ほど経っているから初診は初診、ということで、ちょい私好みのケースワーカーさんに事情徴収をされました(^^)v この病気はいつリターンしてくるか分からないからでしょうか、7年前のカルテが残っていて、本当の意味での初診は'99年の11月20日でした。たらたらと飲み続けていたわけです。

 ちょい疲れぎみなので、サクッといきます。先日、いつものようにNHKの[ラジオ深夜便]を聞きながら寝たのですが、午前3時台に[にほんの歌こころの歌]というコーナーがありまして、私の好みとしては、戦後すぐから昭和30年代ぐらいの歌謡曲がよいのですが、流れてきたのは、谷村新司の[昂]でした。もともと好きな曲ではないのですが、うとうとした中で聞いていると、何故か引き込まれるものがあります。ザッザッザッとリズムが刻まれ、とうとうと歌い上げ、ズワァーっと、曲名のように宙に消えていきます。半分夢の中で、あぁ、そうか夢うつつの中で聞く曲なのだと思い、と同時に好まない理由も私なりに理解しました。それは、この曲はすぐに軍歌に転用できるな、というものです。この感情移入の仕方、情感は軍歌に共通するのではないかしら。青白き頬の間まで.....我はゆく.....さらば昂よ.......歌詞は今すべて思い出せませんが、解釈は振幅する余地を持っています。また、旅立ちの栄光の陰に死の情感を嗅ぎとったのは私の夢物語りなのでしょうか.......

 朝、起きて私はアル中であるにもかかわらず、植木等のスーダラ節をふと思い出し、
ちょいと一杯のつもりで飲んで/いつの間にやらはしご酒/気が付きゃホームのベンチでごろ寝/これじゃ体にいいわきゃないよ/分かっちゃいるけど止められない
 と、歌い、その健全性を思ったのでした。

今日のながらCD
LIVE/FREDDIE KING & BUGS HENDERSON BAND

今日の一文
死ぬならば真夏の波止場あおむけにわが血怒濤となりゆく空に       寺山修司

追伸
植木等さんはとても真面目な人で、この曲をもらったとき、こんな不真面目な歌を、と悩んだそうです。しかし、等さんのお父さんが、御住職なのです、これぞ仏の教え、是非歌いなさい、と諭したということです。




       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-10 17:40 | アルコールと自由 | Comments(6)

巨星堕つ (`人´)

f0100480_2452126.jpg

何時間かおいたら、再送に成功しました。Why、気紛れでは困るのですが........。

只今のながら
FM・NHK ALLMAN BRO'S BAND


交野市断酒会の昼例会から帰宅しましたー
 今道先生は、その死を知っておられたかのように、逝かれる間際に一冊の本を出版されている。『こころをはぐくむ-アルコール依存症と自助グループのちから』今道裕之/東峰書房/2000円+税。先生をよく知る人、お世話になった人たちの間では『遺書』とも呼ばれることもある。先生が最後に残されたものという意味では『形見』といったほうが適当かもしれない。

 平易で分かりやすい言葉で書かれているので、さらっと読めてしまう。だから一通り、知った、分かった気になってしまう。そこが問題で、今から思えばだが、この[さらっ]は、先生のひとつの境地のようなもので、私たちがそこまで分け入り、手掛かりになる言葉を見い出すには、本当は時間がかかるのかもしれない。なんにせよ、相手は[こころをはぐくむ]と開かれた、平易な言葉の集まりなのだから。

 私もまたご多分にもれず、その一人で[当然至極のことが分かりやすく書かれている]と、立て板に水的読み方をしてしまっていて、これを機に[横板に捕り餅]的に読み返そうと思っている。

 「心の問題に対処しようとする場合には、その現象を単純に原因結果だけからではなくて、その人の生い立ちや性格、家庭環境、社会環境などを含め『全体』を立体的、総合的に理解し、了解した上で取り組んでいかなければなりません。“知る”ことが物の世界をわかることだとすれば、“理解する”“了解する”ことは心の世界をわかることと言ってもよいでしょう」

 [理解]が物事の筋道が分かることなら、[了解]は悟ること。[知る][理解][了解]を総動員して働かせる状態にある精神が[智恵]。[知る]は本などで文字どおり知ることができるが、[了解]の[悟る]となると、先に続いてお手上げ、かっ!とほほほ........。でも、何かニュアンスでは分かる気がするのだ。それは[諦めなさい]と言っている、ささやいている。断酒会では[一日断酒]の声も勇ましく、AAでは[今日一日]と祈りを込めて、日々を過ごしなさいというが、最後には[了解]したと[諦める]しかないのだと思うし、そして、更に深くふか〜く諦めて、空気のようになるもよし、還俗して[一日断酒]の旗振るリーダーになるもよし。そんなん言うてて、オマエさんはどうすんねんっ? と尋ねられたら、やっぱり空気とか水のほうがよいのであって、最低、言うだけ言って“屁”のようでも健康にはよさそうだからかまわないのだだだだ.......

今日のながらCD
RATTLE AND HUM/U2

今日の一文
なにがなんでも生きのびなければならない
というのがひとつの真理であるとすると
いますぐ滅亡してもかまわないというのも
いっぽうの真理であってその中間で
われわれはネクタイに首をつっこんでいる
                          宙ぶらりん(抜粋) 谷川俊太郎

       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-06 02:45 | アルコールと自由 | Comments(6)

お手上げ…(;へ;)

f0100480_21454360.jpg

 関西でアルコール医療の先鞭を付け、開拓されてきた、故・今道裕之先生の追悼例会に行ってきた。そこで撮影した先生の祭壇の写真、帰りの電車の写真、そしてマンション裏の筍の写真、3枚をこのブログにケータイ投稿した。画像サイズや原稿の都合で一端すべて削除、へて、先生の写真を再投稿ピピッ.......ところがニ度目を受け付けやがらぬ、何をサーラスポンダ、レッセセ で、お手上げなのである......とほほの

 どれほどの人々が参集していただろうか。用意された席が足りないほどだった。私には、一目で、あぁ何人ぐらい、と判断する能力が備わっていないので、兎に角(うさぎにつの)ン百人だ。何度か今道先生の講演を聞き、ミーティングにも参加させてもらった。講演では分かりやすい言葉で、フランクルの理論を語って「アルコール依存症であること」の意味を考える切っ掛けをいただいた気がしている。

 フランクルは学生時代に読んでいたが、我が身に応用することは、アルコールでいかれた頭では思い付かなかった。ホモ パティエンス、人間は苦痛に耐える動物である。これを態度価値として、フランクルはもっとも人間の高い価値として位置付けていた。そのことをアル中の真っ盛り、また酒を止めていく態度して、今道先生は笑顔で分かりやすい言葉で説かれていた。体験を体験化すること。[これだけは言えると思います。最後は自分の人生を納得して死んでいきたいんですよ人間は]。ナチスの収容所から奇跡的生き残ったフランクルと同じものを、アルコール依存症から回復していく人たちの中に見い出しておられたようだ。今、一度、このブログ上でも追悼の意を表明します。

今日のながらCD
STRANGE DAYS/THE doors

今日の一文
欲望をおさえることがひとつの倫理なら
欲望を解放することもそれに異らぬ倫理で
われわれはそこで半死半生だ
                        宙ぶらりん(抜粋) 谷川俊太郎

天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。5/6は昼例会、2時からだよー、まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-05 21:45 | アルコールと自由 | Comments(1)

WHITNEY MUSEUM

f0100480_14263321.jpg

 今、兵庫県立美術館にホイットニー美術館コレクションがきている。ポップアートの巨星(文字どおりのスター)、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンスタインなどお馴染みの顔ぶれだ。展覧会のコンセプト・タイトルは、『アメリカ-ホイットニー美術館コレクションに見るアメリカの素顔』とある。「移民」「都市」「消費」「記憶」というキーワードに沿って展開するという。

 リキテンスタインのようにアメコミのヒトコマを拡大したシルクスクリーン(上の写真参照)が、芸術? っていう人もいるかも知れない。でも、よくよく考えると、アメリカは建国200ン年の国、ギリシャ、ローマを起原とするヨーロッパ芸術にはかなわない。そこで、それこそアメリカで起こる総てを芸術に仕立て上げるシステムを作り、総ての個人にチャンスを与え、国家も支援した。とどのつまりは、個的前衛もキャピタリズムに支えられ、大量生産のシルク版画がン千万の値に跳ね上がっていくことになる。そういった意味では、アメリカは意図的に伝統と前衛の両方をいっぺんに獲得しようとしてきたのである。

 そのような消費としてのアメリカン・アートと従来のヨーロッパがたどり着いた前衛との掛け橋となったのが、ジャクソン・ポロックだった。ドリップペインティングという、筆から絵の具を滴り落としながら制御する、という独自のテクニックを開発し、俯瞰による絵画製作法を完成させた。彼は自身の「精神」から逃れるために飲んだアルコールに侵され、一時は酒を断つが、1956年、44歳の若さで飲酒運転によって木に激突、他界している。      ポロック続く

今日は調子悪いです。校正もせずに終了します。
キレイニ カタヅケルノハ アルチューニ ヨクナイノデ ホウチ シマス.......
続きは近日ということで......ででんでんでん <(_ _)> ペコッ

今日のながらCD
CONSECRATION-the last/BILL EVANS TRIO

今日の一文
いちまいにのびる涼しさ段ボール
                                       寺田良治
*暖かくなると、この句の登場です

       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-04 14:26 | アルコールと自由 | Comments(0)

目力考

f0100480_11331349.jpg

 葛根湯を飲んでいる。風邪で体温調節ができない。今、鼻水を垂らしながら、くしゃみをときどきしながら、それでも、扇風機をつけてキーボードに向かっている。頭も身体も微熱がある。扇風機が丁度良いかげんなのだが、急に寒く感じるときもあって、慌ててスイッチを切る。

 昔、取材で台湾に二度ほど行ったことがある。渡台ね。で、女性の化粧、特に目の化粧が印象に残った。なにせ、目だから、印象に残らざるを得ない。何かのまじないか、と思うぐらい、目の縁をアイラインで異常に強調している成人女性がほとんどなのである。街には、アイラインの入れ墨屋さんもあって、繁盛しているらしい。抵抗感はあまりないみたい。まぁ、毎朝、一生化粧することを考えれば楽かもしれない。

 で、最近の日本の若い女性も、殊更、目の化粧には力を入れているみたいで。私の利用する電車の中、28分間、ずっとマスカラを塗り重ねている娘さんも一人や二人ではない。目は口ほどに物を言い、ということで[目力]という言葉も誕生したぐらいだから、確かに印象は強くなる。強くなるが、みんな同じ[目力]だから、みんな同じになってしまった。

 真面目な話で、三ヵ月病院にいて、無罪放免になると、若い女性の顔はみんな同じに見えた。はっきり言って、区別はつきませんでしたですよ。私は、母の影響で服飾や化粧品の広告ポスターやロゴタイプなどに興味を早くから持っていたけど、ン十年生きてきて初めてのような気がする。こんなに女性の顔が同じに見えるのは.......。

 '60年代からは確かに目にインパクトのあるメイクが多かったけど、'70年代のモデル、立川ユリさんやジョーエン・ガッレキさん、小泉一十三さん、ツィッギーさんなんかもバリバリの付けまつげだったし......でも、違って見えたなぁ、ananのモデルさんは特に個性的で個が光っていた。今、コンビニでちょこっと見るモデルさんはあんまり際立ってないな。

 んで、女子プロレスラーにラスカチョーラス・オリエンテレスっていうタッグコンビ(下田美馬さん、三田英津子さんのコンビ。もう引退したのかな?)があって、その三田英津子さんを応援するファンの横断幕に[三田英津子を応援する私が好きっ!]というのがあった、と友人から聞いた。で、そう[なになにしている自分が好き]というのは一つの時代のキーワードかもしれない。そうそう、もう一つ[自分を褒めてあげたい]もそんな感じで、同類項だ。

 中島みゆきの歌に『化粧』っていうのがあって、別れを告げに行く男性のもとに[化粧なんてどうでもいいと思ってきたけれど、最後の最後にきれいになりたい]と歌う。ここでの化粧は肉体と同じである。

 しかし[目力]メイクは[化粧をしている自分が好き]って感じ(とにかく、ずーっと、電車の中で化粧してるんだもの)で他者が存在しない。肉体に宿るのではなく、強いて言えば、団体に宿るって感じだ。団体さんで、ひとからげにして、そこに所属する手続きのためにメイクしている感じです。[なになにしている自分が好き]団体。オタクと呼ばれる人々も同じですよね......多分。

 私は化粧をしないので、する側気持ちは分からないのですが、見る側からは、このように推測する人もおるということです。

 お酒も、これに良く似たパターンがあって、私は、飲むこと自体も好きだったが、[飲んでいる自分が好き]だった。
私の依存症を語るには大事なテーマです。これは。今日は[飲んでいる自分が好き]の前振りということで、ひとつ、お後がよろしいようで......テンツクテンツクテンテン......

今日のながらCD
夜を往け/中島みゆき

今日の一文
薮から鍋へ筍いつぽん
                                     種田山頭火
*買い物に行く途中、子供達が竹の子を掘っていた。帰り、お母さんが付き添っていたw


       天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
[PR]
by alglider | 2006-05-01 11:33 | アルコールと自由 | Comments(5)

正常ということ その4

f0100480_17193621.jpg

 写真の猫、木に登って降りられないのかなぁ、ってしばらく見ていて、見ているから降りないのね、と気づいたアル中の私でした。


 正常ということ その3、からの続き.........私がアル中書架から借り出した吉村昭さんの『海も暮れきる』は、漂泊の俳人、尾崎放哉さんの伝記でした。放哉さんは、季語や五・七・五の形式に囚われない、いわゆる自由律の俳人で、[咳きをしても一人]でよく知られています。でも、なぜ放哉さんの自伝ががここのアル中病院の推薦図書になっているのか、私にはまったく分かりませんでした。

 で、ベッドに横臥して、ざざぁーっと、驟雨のように斜め読みしてみますと、その謎が解けました。放哉さんは結核におかされ、お酒に溺れ、流浪生活の果てに小豆島・南郷庵にたどり着き、極貧、病苦の中で亡くなった人です。そのぐらいの知識は私にもありました。が、ひと昔前の文人に多く見られるような作品と生を引き換えにした、無頼、頽廃派の中の一人として認知していたのです。まぁ、それでも間違いはないんでしょうけど、お酒に溺れるどころか、アルコール依存症、当時なら酒精中毒ですね、がかなり進行していたことが読むと分かります。

 でも、私は納得したわけではありませんでした。なんとも割り切れなかった、のです。これはなにごとか? お酒に溺れなければ、もっと長生きができて、もっと良い? もっと多くの? 俳句ができたのに、ねっ、アル中って悲惨でしょ、芸術家の才能も蝕んでしまうでしょ、ってこと? 私はそういう意図ですか、と確認したのです。私は放哉さんが、つくづく可哀想だと思いました。伝記が「アル中の人が省みることに役たてば......」って、放哉さんがあの世で納得しても、吉村昭さんが認めても、そんなんなしやろ、したらアカンのちゃうん、と、私は泣いてますベッドの上で、でした.....(ToT)

 他人の幸、不幸を自分の手本、鏡とすることはあります。他人の過ちを我が身に重ねて、反省に徹する夜もあります。しかし、それはたれでも良いというわけではありませんし、まして、この放哉さんの伝記を書いた吉村昭さんも、同じ結核を患い、病床で長い文章を読むのが辛く、もっぱら俳句を読んだといい、そして、同じ文章を書く者として、放哉さんの凄絶なまでの表現と向き合うためにこの伝記を書いた(私のうろ覚えです)というような後書き付しています。かような身になっては悲惨で、このままではあなたもかようですよ、と警告を発するには、他の良書(?)もあろうかと思います。

 私は入院したのだからアル中の身であります、しかし、お酒で委縮した脳でも、これは浮かばれんなぁ、やるせないなぁ、というささやかな矜持はありました。放哉さんもお酒を恨めしく思ったでしょう、魔力に打ちひしがれたでしょう、止まらぬ我が身を呪ったことでしょう、想像できますよ、できますから
 漬物桶に塩ふれと母は生んだか
と書いた、我が身を削いだ表現者の伝記を、安易に悲惨さのみにミスリードする意図で本を選定するのはあんまりだと、ベッドで泣いたのです。多分、とやかく言うことではないのでありましょう...... どのように読まれるかは本のみぞ知る、です。できたら、放哉さんの句集が書架に並んでいたら、私の思いは少し救われたでしょうがががが......
[作品と生を引き換えにする]という表現がありましたが、それについて、以降つ・づ・く.....
)o( アッチョンプリケ!

今日のながらCD
サティ ピアノ作品集1/高橋悠治

今日の一文
入れものがない両手で受ける                      尾崎放哉
[PR]
by alglider | 2006-04-22 17:19 | アルコールと自由 | Comments(4)

正常ということ その3

f0100480_18263938.jpg

 2004年9月29日入院決行日、私は、そらぁデカイ荷物を二つ三つ四つと持っていきました。運悪く、当日は台風上陸。タクシーに乗っても、タクシーのドアから病院の玄関にたどり着く間に、濡れアル中......とほほほのほ.....てな状態で、暗雲立ち込めるお輿入れとなったのです。

 初め三泊四日は観察室というところで過ごします。看護師詰め所の近くで、これはこの時期、離脱による幻聴・幻覚、自傷などの急を要する症状が表れやすいための処遇。で、この観察室に入る前に手荷物検査があります。ん? と思いましたが、ハサミやライター、爪切りなど他傷、自傷可能なものは預かる、ということで納得しました。私なんかは、鉛筆を差し込んでぐるぐる回す、あの懐かしタイプの鉛筆削りまで没収されてしまって、あんがっ! と驚きましたが、何が起こっても不思議でないのがこのアルアル大病院でありまするるるる........

 それはそれでよいのですが、私を愕然とせしめたものは、なんとなんとナントの勅令、私が濡れネズミにまでなって担いできた、本を取り上げると言うのでありんす。私はなにも他人を脳しんとうせしめることができる小学館の国語大辞典を持ってきたわけではないのですよ。ぶぶぶ、文庫や新書、せいぜい四六版を三ヵ月分ではないかないか道頓堀よーっ。でも琴光喜のような看護婦が[観察室では院内にある本を読んでください]と言う。んで、その院内に常備されている図書というのが、アルコール依存症や回復をよりよく理解するための本なのでありました。

 ほんでもってよ、私は翌日、その本棚にいそいそと出向いたのであります。あるある、その手の本が。重複してもよいように同じ本が数冊ずつ肩を並べてありゃーす。『アルコール問答』なだいなだ、『村松春繁』小林哲夫、リビングソーバ、ビッグブックなどなど....。んっ!なんだこれは、っと私はその中に意外な本を見つけました。『海も暮れきる』吉村昭。なんでまた、吉村昭さんなの? なんかアルコールに関係あるんすかっ? まさか大日本帝国海軍はアル中の集まりで戦艦大和は沈んだっ! とかそんなんか......海も暮れきる、だもんなぁ.....とぱらぱらっと、紹介文を読む。ええ、こんなん置いといてええのぉ? 私は琴光喜にそのくたびれた講談社文庫の名を貸し出し帳に書き入れてもらって、ベッドに戻ったのであります...........つづく

今日のながらCD
SHANG SHANG TYPHOON 3

今日の一文
咳をしても一人                                 尾崎放哉
[PR]
by alglider | 2006-04-21 18:26 | アルコールと自由 | Comments(8)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


by alglider
プロフィールを見る
画像一覧