瓢箪から駒 ヅラから道徳

 今日『ナルニア国物語』を見に行って来たから、連想が働いてPINK FLOYDの『ANIMALS』を聞きながらこれを書いている。『ナルニア・・』のことだけれども、ストーリーは子供のためのファンタジーだからいたって古典的。しかし、私はCGというものに疎いから十分に楽しめた。ビーバーが話したときは驚きゃあした。この映画、脇役のビーバーで持ってる、なぁて。んでもCGって遠近法がおかしいんやね、知らんかったわ。あれは作意としてのディズニー的誇張芸術表現なのだろうか?CGの特性?限界?分かりません。映画が遅くなって、というのは言い訳で選抜高校野球を見入ってしまって、お出かけが送れた∴遅くなった、しかるに扇町AAはパスすることに相成り、阪神DPT地下食堂で名物いか焼き3枚、旨っ旨って、食して家路に。 

 んで、帰りの車中なんだけど、私の目の前の席の男性がヅラを着用(?)していた。でもって、これがまた映画に向かう往きの電車の中でも私はヅラ男性と遭遇しているのだった。こんな偶然、こんな一日二回もってあるんやねぇ。もちろん同ヅラ別人ですよ、同じ男性なんてことは奇跡に近いですから。ヅラを確認したとき「オレは100%見抜く自信がある」と自惚れを覚えますが、本当はカツラを着用している男性をどのくらいの確率で気付いているのでしょう?どうでもいいけど。んで、車中の私の視線はどうしてもヅラにいってしまう。これがまた良く擬態しているものだから、ついこっちも正確なところが知りたくなる。いけないと思いながらも、チロリンとつい視線がいく。相手も「気付かれたかな」って素振りで俯いたりする。私はさり気なく吊り広告に視線を移動して、また戻す。目と目が合う。携帯のバイブが震えた振りをする、私・・・・。

 相手の男性はイヤな思いをしただろうか?それとも慣れているだろうか?極私的に言えば、カツラを用いる人の気持ちはまったく分からない。私やったら必ず注がれるであろう視線に堪えられない。チャパツにする感覚と同じなのだろうか・・オシャレやんオサルやん。オシャレにしたって、天然パーマの女性がストパーをあてる感覚とヅラ着感覚は随分違うような気がする。実存という深淵な問題か。禿げたら禿げでいいじゃん、自然の摂理じゃん、これが私の気持ちだ。でも「京大類人猿研究所(?)みたいに、じろじろ観察するのは失礼やないか」「勝手じゃないか、自由じゃないか」というのはカツラを用いている人の気持ちだ、正論だ。そうだ勝手のかの字なのだ。話が微妙な問題を含んでいる(?)だけになかなか進まない。整理ができずにあっちこっちにいってすんまそん。
 
 そんなこと(視線に堪えられないよなぁ)を思いながら、私の思いは自分の過去に向かっていた。勝手のかの字、自由じゃ、失礼じゃないかないか道頓堀よ..。そう、かつての私は勝手のかの字で、車中飲酒を繰り返していたのだった。ヅラがナンボのもんじゃ、視線がナンボのもんじゃと関係なしで、ウビウビと大好きなビールを喉に流し込んでいた。通勤満員電車の中でも吊り革に掴まり、片足立ちだったりしても。空いた車中では大阪のオバサンたちの掛け合い漫才を耳にそよぐ風のように聞きながら。視線なんて関係ない、臭いまで発しているのだからん。私には「みっともない」という哲学がスコリンと抜け落ちていたのだ。これは飲酒によって抜け落ちたのではない。もともとなかったのだ。早川義夫さんがソロアルバムのタイトルで「かっこいいって、なんてかっこ悪いんだろう」と看破したように、自由の名のもとスコリンと「みっともない」が抜け落ちた不甲斐ない私が酒をたらふく飲んで豈図らんや何の不思議があろうか。コンビニの前で囲み座りしてカップ麺を食べ散らかしている少年少女たちの先駆け的存在だったのである。が、ゴミは捨てる習慣は身についていた。いくら酔っても空き缶は空き缶入れに、だ。「みっともない」というのは教養の感覚だ。「かっこわるい」というのは道徳の感覚だ。断酒生活には教養と道徳が必要なのである、とみっともなくも言い切る私はどうすりゃいいのよ思案橋。ここでいう道徳というのは私流に言い換えればフェアということなんだけれども。この道をアントニオ猪木風に迷わず往けばやがて倫理という家に辿り着くはず。あくまでも、はず。

 このようにヅラから飲酒生活を回顧し、断酒の心得を考え、哲学を超えた倫理の境地まで思案橋していると「次はHNYGW駅〜、HNYGW駅〜」車中アナウンスがあったので、かのヅラの男性と一緒に降車した。階段の後ろから後頭部の具合をしっかりと確かめている自分があった。とほっ...。
酒、自由、道徳、倫理は私の主旋律なので日を追って奏で続ける。今回は長〜い長〜い、イントロでござるるる...。

今日の一文
この学びの旅を終えたら家路につこう        ヘルダーリン
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# by alglider | 2006-03-28 22:59 | アルコールと自由 | Comments(1)

私は現象にしかすぎない1

 明日(もう今日か・・)はアスパラクラブで当たった映画『ナルニア国物語』を見に行って、帰りに扇町のAAに寄ろうかしらん、と思っとります。んで、余裕をかましてたらプーシキン美術館展も4月2日の最終日が近付いて来てるがな・・光陰矢の如し・・お咲き(上方落語では嫁さんのことをこう呼ぶことが多い)さんに「もう、うかうかしてたら見逃すがな、いつ休み取れます?」と聞いたら「えっ、一緒に行くの?」と言われてしまいました・・婚姻闇の如し・・。

 プーシキンで見たいのはモネの『睡蓮』とマチスの『金魚』だ。前回の続きになってしまうけども、マチスはさておき印象派のモネを「おぅ、結構美しいやん」と感じられたのは退院してからだ。技術は技術、印象派の理論は単純で納得し難いものがあって、これまた私の心が硬直していた証や、秋刀魚かはこれからの検証、生き方になると思うねんけど・・・。アルコールを止めてたら、私の何が変わっていくのだろう、というのは楽しみなところだが、私は「止まっているという現象にしかすぎない」とアンビバレンツな今日この頃だ。ところでポロックの映画見ました?半端じゃありませんよね、あのアルコール(**)。あんな飲まんでもと、チューもため息ものだ・・。

 今夜は疲れているんで、このぐらいで寝むりまするるる・・。

今日の一文
 もう三日も飲んでないのであって、実になんというかやれんよ。ホント。酒を飲ましやがらぬのだもの。ホイスキーやら焼酎やらでいいのだが。あきまへんの?あきまへんの?ほんまに?一杯だけ。ええわい。飲ましていらんわい。飲ますな。飲ますなよ。そのかわり、ええか、おれは一生、Wヤングのギャグを言い続てやる。君がとってもウイスキー。ジーンときちゃうわ。スコッチでいいから頂戴よ。どや。滑って転んでオオイタ県。おまえはアホモリ県。そんなことイワテ県。ええ加減にシガ県。どや。松にツルゲーネフ。あれが金閣寺ドストエフスキー。ほんまやほんまやほんマヤコフスキー。どや。そろそろ堪忍して欲しいやろ。            町田康『くっすん大黒』

 
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# by alglider | 2006-03-28 01:40 | 回復過程 | Comments(4)

ブログ深夜便

 今日の未明にブログを書き込もうと思っていたのだけれども、前日徹夜だったので、NHK「ラジオ深夜便」のシャンソン名曲選を聞きながら寝てしまった。DJは加賀美幸子さんで、加賀美さんの声はいつも私の気持ちを落ち着かせてくれる。余談になるかどうかは分からないけれど、アルコール依存症のドキュメント映画『もうひとつの人生』のシナリオの最後で加賀美さんは、なだいなださんと対談している。

 んで、話はその「ラジオ深夜便」から始まるのだけれども、私が「ラジオ深夜便」を聞き出したのは、アルコール専門病院に入院していたときだ。眠剤を飲む習慣がないから、ぞわぞわ不安が湧いて寝つけない夜はラジオを聞くようにした。んでも、なかなか心落ち着かせてくれる番組がない。どの局に合わせても、DJは英語混じりの日本語(またはその逆で)で独善的に話しっ放しだし、流れる音楽も馴染めなかった。こちら疲れるんよ、こちら寝たいんよ、と思ったものだ。そこで辿り着いたのが「ラジオ深夜便」だったわけ。丁寧な日本語とその言葉と言葉の間の取り方が、耳から脳にやんわり伝わってくる。刺激ではなく浸透する。こらえぇわ、ごっつえぇわ、と毎晩聞くようになった。話し掛けるようなDJスタイルは、あぁ、この夜のしじまを言葉の電波が飛んでいる、と想像させてくれて子供のように嬉しくなった。今でも嬉しい。変ですかねぇ。

 んで、話は変わるようですが、私は祖父と兄の影響もあって、小学生のときから音楽は「アホちゃう」と他人様から誹られるぐらいROCK一辺倒で、クラシックなんか聞いたことがまったくなっかたし聞く耳を持っていなかった。しかし「ラジオ深夜便」では、アナウンサーの声に導かれるように聞いてしまっている私がいた。これは不思議やったなぁ。そして、アルコールが抜けて、飯がんがん食って体重が増えていくのに合わせて、いつしか私はROCK以外のものも聞く感性も獲得しておったのだ。おぉ、マンマミーア。そして、それからNHKのFMから流れるものは何でも聞いた。演歌、民謡、歌謡曲、小歌、端歌、新内などなど・・。今でも早朝にやっている邦楽の時間は好きだ。SEX DRUG ROCK'N'ROLLの三点セットのDRUG=アルコールが抜けてきたらROCK'N'ROLLの呪縛からも解放されて、体も感性も楽ちんになった。もちろん今も感情の揺れはあってしんどいけれど。耳に届いてくる旋律ものは快適でござる。

 で、酒も音楽も、とにかく嗜好というものは、過ぎれば心の硬直を招く。依存症やから酒から解放されたとは言えないが(今んところ考えんと済んでるんで楽ちん楽ちん)、多種多様な音楽が耳に響いてくるのは心地よい。快適だ。

 そんでもって、気になっていることがある。話はここからなのだ。長いなぁ。いかん、日付けが変わってもうた。文章の出足がおかしなるけど許してください。断酒会やAAに参加して、よく耳にする言葉で「お酒を止めて、花や空、自然の本当の美しさに気付きました。お酒飲んでいる時は全くその美しさに気付きもしなかったのです..何たら勘たら..おぉ世界よ!...」というものがある。断酒会の方で聞くことが多いかな。私は困ったなぁ、と思う。入院中リビング・ソーバのミーティングに参加して「月の美しさにも気付かず飲んでいた..何とか勘とか..」という文章のときに発言を求められて「美しい月を見ると飲みたくなって飲んでいた」と答えたのを時々思い出すが、関係あるのかもしれん..。その「本当の美しさ」なんて私さっぱり分からんちんなのである。花を美しいと思うことはある。花の色のうつろいを愛でることもある。でも「本当の美しさ」みたいに心底で言われると、私にとって脅迫観念になりこそすれ、共感はありまへんがなと言いたいのである。「酒を止めた日にゃ、花の本当の美しさに気付かなあきまへんのか」と思うと「私はまだまだ修行が足りん」と辛くなる。これって、心の硬直が取れて、色んな音楽が聞けるようになったのと、似てるようで全然違いますがな、という思いなのである。お酒を止めたぐらいで(それがアル中にとってどんなけ苦し気なことかは身を持って知っているけれど)急に、真・善・美について語るようになれるとは思わんちんなのである。語るのは大いに結構毛だらけ猫灰だらけ、やねんけど、私にはそこまで言う美しさが分からんし、言う迫力もありませぬ。せやから脅迫されているような気になってしまう「ええ、みんなそんなに世界が美しく見えてんのぉ」と(えぇ、これも病気のなごりと思いますけど)。私ゃもっと楽な方へいきたい、というのが本音であって、真・善・美は遠い話だ。言いとうなる気持ちはよう分かる、けど、そこまで言わんでも、と思ってしまう。遠回しを止めると、それを言ったらお終いやがな、なのだ。また、心が硬直するやん...と。あぁ、それを書いたらお終いやがな...くわばらくわばら桑原和男..カミサマ...。

 もうすぐ、ラジオ深夜便の私の好きなコーナーが始まるので、続きはまたの機会でござるるる....。

今日の一文
井の中の蛙大海を知らず、しかしその空の蒼みを知る   作者不詳
 
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# by alglider | 2006-03-27 01:22 | 回復過程 | Comments(4)

前口上 日々是口実

 ある女性の友人が「ブログを開設したので立ち寄って..」と言ってきたのでほいほいと「おう、これが噂のブログか...」と覗いてみると結構面白かった。癖になってあちらこちらのブログを迂路つき回って、こら、老若男女もすなるブログたらいうものを私も一丁やってみようと思いたったら吉日で、今日が吉日かどうかは知らないが始めてしまった。
 迂路つき回って、何とアルコール依存症関連のブログの多いことよ。おぉ悩み多きアルコール依存症者達。あちらこちらと熱心に委縮した脳で覗いて回って、疲れちゃんちゃこりん...
んで、何故そんなに熱き心で徘徊したかというと、私もれっきとした悩み多き中だからだ。
 AAのメンバーが開設していることが多い、AAの人の集い方から納得できるなぁ、断酒会だとその会のHPになることが多いなぁ、なんて感心も得心もしていたのだが、私は断酒会員なのであった。まぁ、Take it easy なんてROCK魂をなくしていたと告白しているEAGLESのように気楽に、巧妙で、不可解で、強力なアルコールの物語りを紡いでいこう。
 織田信長が舞い踊った「人生五十年」も過ぎて、巧妙で、不可解で、強力な自由の物語も...
 入院して退院してグライダーのように断酒生活を続けている。アル中のグライダーだからブログの名前をalGLIDERにした。フニャラフニャラとTake offするっす。

今日の一文
風孕み落ちゆくまでの一瞬をわれらはわれを愛すほかなく    福島泰樹
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# by alglider | 2006-03-25 06:23 | 日々是口実 | Comments(4)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし


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