沈黙
2010年 02月 12日
02:21
久々の
日付を超えての更新。大阪に帰省中の歌人辰巳泰子さんと、辰巳さんが去年まで「台所のブルース」を連載していた「あまから手帖」の担当編集者、住吉君と三人で居酒屋へ。もちろん私は烏龍茶。言わずもがな。辰巳さんと住吉君は初対面。辰巳さんが「会えてよかった」とささやいてくれて、こちらも嬉しい。住吉君は今夜デザイン入校が控えているということで九時ごろ会社へ。ご苦労さま。
私と辰巳さんは河岸を変えてもう二時間ほど、少しの短歌話と多くの世間話。話をしている中で私は思った。世間には物語が多すぎるのだ、と。人は他人が作った物語、世間の物語に乗りたがる。言えば他人の物語、流通する主人公になって悲しんで、そして憐れんでもらいたいのだ。人は物語がないと生きてはいけないが、それは不器用であっても、恰好よくなかっても、自らの血肉をかいくぐったものでなければならいと思う。世間に流布している物語に自分の言葉・人生を乗せて、伝われば(伝わりやすいよね)よしとしている人がなんと多いことか。
そら確かに逃げ出したい、と思うことがある。その時は逃げたらいいと思う。人の物語に乗っかるよりはいい。難しいのは、その逃げ方も他人の物語のおんぶにだっこになってしまうことが往々にしてあることだ。それは自分の「生」をWikkipediaで検索してるようのものだよ。おおよそすべてのことは語られつくし、物語は用意されているから。それは前衛とか新旧の問題には置き換えられない。寡黙沈黙、を恐れてはならない。表現はむしろその沈黙の中にあるのだと思う。
しかし、辰巳さんって深々とおじぎをする人だなあ。
黙しをりどうしようもなく黙しをり、そんなこんな沈黙の夜だ
只今のながらCD
AQUALUNG / JETHRO TULL
by alglider
| 2010-02-12 18:51
| 日々是口実