さだかではない…
2006年 05月 27日
断酒会やAAに限らず、組織、まぁそんな堅い響きでもなくて人の集まりに参加していると、規則や基準というものが生まれてくる。喫茶店で話しているわけではないので規則・基準は必要なのだが、やっぱりそういったものは最小最低限であった方が好ましいと思う。T断酒会のI氏は[断酒会ゆうてもエエとこばかりやない。平気で人の足引っ張りよる。気ぃつけた方がよろしい]と公言してはばからない。I氏が何を見たり経験されたのかは知らないが、断酒会でお酒が止まった人が多くいるという総論は信じても、眼前の自分が参加している断酒会=各論はそうはいかぬわけで、個人個人で感じる違和感は、それこそ素直に大切にした方が良いのかも知れない。従うも疑うも素直な心、というわけである。
良い悪いとは関係なしに、人が集まると偽悪の負の優越感というものが発生する。無縁でありたいと思うが、ひとたび考えだすと、こういったものは、無縁であるか否かはさだかではない。のたうち回り日に救急車三回呼んだ、幻覚幻聴で殺傷事件に発展した、自分の家に放火した、などと聞かされると、離脱がそれほど酷くなく幻覚幻聴もなかった私は、同じテーブルに着いているのが申し訳なくなってくるほどだ。スミマセヌ。本当の話、私は脂汗が出ることも、こむら返りすることも、[おぅ、アル中の症状がでてるやん]と、何故か楽しみにしていた節もあるのだから、何をか況んや、である。
一番初めに体験談を語る人がそういった離脱の内容の事を話すと、必ずと言っていいほど、次の人は影響を受けるから同じ内容で話は受け継がれる。[私の場合は云々][そう言えばワシにもこんな経験が云々]となることが間々ある。それで私の番がくるとトーンダウンしてしまうてなことも度々あったし、初めのころは無理に負の体験を誇張したこともあった。今では話の流れには乗らないことにしていて、その日自分に必要なことだけを話すように心掛けるが、この自分に必要なことの判断が意外と難しい。
体験談を話すということは、自分自身の物語を作ることだと思うのだけれども、[幽霊の正体見たり枯れ尾花]で、幽霊の真実を語るか、枯れ尾花の事実を語るのか、で随分とその人の物語は変わってくる。私はといえば[幽霊]派の語り部でありたいと思っているし、そこに体験談を聞く価値があると思っている。圧倒的な事実の前には、為す術を持たないが、基本、事実というのはアル中はアル中であってもみなそれぞれということだ。
まぁ、そんなこんなで、時には断酒会でそういった居心地の悪さを互いに感じあっているのかも知れない。そして、その居心地の悪さを互いに是正していくために、体験談は虚々実々を混濁しながら素直な方向へ澄んでいく、ということになれば、結果、そういった、ある種の居心地の悪さは、所謂、必要悪というものかも知れぬが、さだかではない........
今日のながらCD
Maybe you've been brainwashed too./ИewRadicals
今日の一文
演習の機関銃音にまぎれしめ人を射ちたる真夏がありき 齋藤 史
天武人さん交野断酒会にまたおいでーよー。まってるよー
by alglider
| 2006-05-27 17:22
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