人気ブログランキング |


■■
f0100480_152391.jpg



17:01




あ あ 、 あ あ と 雷 雲 あ お ぎ 後 ず さ る 青 の き り ぎ し 空 の き ざ は し




ああ、ああとらいうんあおぎあとずさるあおのきりぎしそらのきざはし




 いまいち 体調は優れない。いろいろと用事が重なってペインクリニックへ行けず、薬が切れていることが一つ。これは明日、早引きをしてクリニックへ。もう一つは用事が重なっていること自体がちょっと落ち着きを失わせる。ながらみ書房が出している短歌月刊誌「短歌往来」9月号の「全国“往来”情報」の今月のスポット欄に『汀の時』の評が載った。長文でよく読み込んでくださっている。短歌の評というのは意外な方向からなされることがままあって、この評も思わぬところから歌を支えてくれるものだった。勉強になる。次回、写真がうまく撮れたらアップします。




 短歌同人誌cahiersカイエ / 未来短歌会 夏韻集短歌結社「未来」所属の草野浩一君が自身のブログで『汀の時』に触れてくれた。許可を得て下に転載する。




  『汀の時』窪田政男さんの第一歌集



 ああ、窪田さんだなと思うようなこだわりというか美意識が歌集の装丁にもあって、表紙のややぼやけたビル群の景色。本文に使用されているインクの色が浅葱色(正しくはわかりません)があわくやわらかさをかもし出している。


 ふだんお会いする窪田さんのようにしずかに間をおきながら語りだす。ご自身をふりかえりつつ、いる人、いない人に語りかけるような。あの時と今を行きかうような、ふうっと遠くをみるそんな眼差しが浮かびました。アルコール依存症の治療を受け断酒を続けるなか、はじめは詩を書いていたこと、はじめて知りました。でも詩は延々に終わりがなく、その日、その時、感じたことを表す短歌をはじめたことも。


  その数年後には胸椎硬膜外血腫という病にかかり、緊急入院された知らせを歌友からいただいた時は驚きました 。さらには骨髄増殖性腫瘍という病。


 歌集の印象は諦念からくる追憶と一度、二度、と何度か視野にかすめた死というものをしずかに見つめる。たんに悔い立ちどまるのではなく、祈りや、生きるをうたうそんなことを感じました。




ひたすらに泣きたくなるの透きとおるエレベーターで昇りゆくとき


 透きとおるエレベーターが暗示するもの、地上から離れ昇りゆく時に目に映るもの。


 近くに見えていた、花や木、動く人々や車、高架を走る電車も、徐々に小さくなり同じ高さのビル、灯、遠くの山、広がる海も見えてくるかもしれない。ひたすらに泣きたくなるのは離れゆくことのこのうえない孤独、寂しさ。


 なんどか読むうちにとても気になっていた事があって、それは表紙の写真のボヤけたビル群。歌集題名の『汀の時』と、どうも受けるイメージが一致しなかったんだけど。あの表紙の風景はこの一首とシンクロしているような気がしてきました。







〜好きな歌をいくつか〜


地下茎の眠りを覚ますわたくしの物語となる雨ふりはじむ


天高くボールを投げて一人受くいつか逝く日を知るかのように


いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど


ここからは致命傷なの指切りの指で引かれる切り取り線


懐かしいなどとほざいて振り向けばタールのような夜がきている


誘われて逝くのであればそれはもう存外のことでした母さん




黙祷とプールの匂い八月へ電車はゆけりまぶしき中を


水平にひらく海へと風のゆくわれは失語の旗でありけり


残すもの何ひとつなくゆずり葉のただ生い繁る無風水無月


遠く降る雨の匂いと思うほど静かにそろう前髪がある


ペティナイフ水蜜桃の香のみちてきみの晒せる背なか見ている




差しこめる夕日を今日の栞としきみの駅まであと二つほど




 電車にゆられ今日という日をふりかえる、「今日」は「生きる」に通じる。ふと視線をずらすと車窓から差しこめる夕日。乗客はまばらであわいひかりに包まれたような静かな空間を思った。煩わしい一日だったのだろうか、きみの駅まであと二つほど、の「あと」が待ち遠しくひびくも、「ほど」が曖昧でおぼろげ。この「きみの駅」に降りるのだろうか、この「きみ」に会いに行くのだろうか、今もここに住んでいるのだろうか。いずれにしても上句の気怠さから「きみの駅まであと二つほど」がどうも寂しく思える。
 歌会ではじめて読んだときから、推敲なされていますが、ふと口からこぼれでたようなこの歌がわたしは好きで、よく思い浮かべる。




 歌集の最後におかれた一首。




ゆくだろう人恋うことも捨つるのもかなわぬ夜が寄せるみぎわ




 丸い眼鏡に帽子かぶり、リュックを背負い、杖をつきつつ、こつこつと静かな音をひびかせて歩く姿をこれからも見せてください。


 窪田さん第一歌集『汀の時』上梓 おめでとうごさいます。ますますのご活躍を祈りつつ、窪田さんの背中を追っかけなきゃな。





f0100480_16435335.jpg
 事務手続きの関係で送れていたamazonでの取り扱いが始まりました。『汀の時』(←クリック)よろしくお願いします。


 また、短歌を続けることを見守っていてくれた、天満ガーデン・カフェの中野ひろ子ちゃんの旦那さんがやってる古本屋さん「駄楽屋書房」(天神橋三丁目)さんにも歌集『汀の時』を置いてもらいました。近くの方は手に取ってご覧いただけます。駄楽屋書房(←クリック)よろしくお願いします。




f0100480_16445701.jpg
歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫(←クリック)でどうぞ。栞も付きます。





 そんなこんな。






f0100480_16464225.jpg
只今のながらMUSIC

IS THE IS ARE / DIIV





by alglider | 2017-08-20 15:02 | 短歌 | Comments(2)



f0100480_19573727.jpg


23:27



そ れ は 羽 、 そ し て 夕 ぐ れ い ち 日 を 失 く し て 明 日 は 夕 立 が く る



それははね、そしてゆうぐれいちにちをなくしてあすはゆうだちがくる





 今日は


 朝から頭痛に悩まされてリビングでごろんとしていた。頭痛は若いころからの持病だが、義母や友人が脳梗塞にかかってからというもの、年齢とともに怖くなってきた。で、横になっているリビングではケーブルテレビの「24」一挙放送をお咲きさんが見ていて、私もジャック・バウワーの無茶ぶりにどんどん引き込まれてしまった。でで、頭痛はどこへやら、笑。

 お盆休みは月末に取るので明日は仕事。お咲きさんも仕事と思っていたら、普通にお盆休みだった。余裕が違うはずだ。ぬかったわ。


 結社「心の花」に所属の歌人・武富純一さんの感想がフェイスブックを通じて送られてきた。許可を得て下に転載する。





窪田さん『汀の時』お送りいただきましてありがとうございます。


 全体の感想ですが、「繊細」「世界観の淡さ」「喩の奥深さ」「静謐」「生へのまなざし」「儚きものへの目」「静かな情念」等の言葉を思いました。一冊を通じて延々と霧雨が降り続いているような気がしました。その雨は決して止むことはないけれど、時々向こうに明るい光が明滅しているような…。


 下記、佳いと思った歌を挙げます。(厳選しました)。


日曜のユンボはひとり鋼鉄の疑問のままにふかく眠れり


差しこめる夕日を今日の栞としきみの駅まであとふたつほど


何ごともなさずに暮れるいち日の終わりに聴こゆ The Fool on the Hill


行くぼくを責めるかのよう蝉の鳴く命ひとつは同じじゃないか


まいにちを惜しんでいるか、残照の問いかけの過ぎ街の灯ともる


雨の上にゆうぐれ来たり悲しみの背骨のごとく鉄塔の立つ


二つぶの向精神薬ころがせば指の谷間に薄日は差せり


折り鶴の祈りのかたち鋭くてなにも語れぬ一日のあり




 逆編年体ということなので敢えて編年で並べてみました。福島氏の跋に、病気のことを知りました。私は酒が好きで「心の花」ということもありまして、酒の歌に接すること多く、私自身もよくうたってきました。それだけに酒を真逆からとらえたこの歌集は衝撃的でした。酒への、こんな見つめ方があったのか…という、言葉にしてしまえばいささか軽いけれども、最初に感じた思いです。


 今後のわが「酒観」の変容があるとすれば、間違い無くあなたのこの歌集によるものです。最後の章の「寛解」という意味深き言葉についてもずっと考え続けています。

 ふみまろ歌会を通じて、あなたのような「我とは異質な」歌人に出会えたことを光栄に思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします。




f0100480_23000168.jpg

 事務手続きの関係で送れていたamazonでの取り扱いが始まりました。『汀の時』(←クリック)。現在、品切れ中になっていますので、少しお待ちいただきますが、よろしくお願いします。



f0100480_23061728.jpg

 先日、歌集を置いてもらいに昔馴染みだったバーへ久しぶりに行った。それから、もう一軒回って、こちらは手渡しで販売。スロッビング・グリッスルが縁で昔々知り合った女の子。今は二児の母となってレストランバーをやっている。彼女が「短歌を続けてね」と言ってくれた一言が支えになった時期があった。写真はバーからバーへ巡る途中の扇町公園。夜歩くのは久しぶり。昔、あまから手帖の編集部は公園の近くにあった。




 歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少し(本当に少し)あります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。









 そんなこんな。






f0100480_23134924.jpg

只今のながらMUSIC

AMERICA / AMERICA





by alglider | 2017-08-13 19:57 | 短歌 | Comments(0)

八月葉月六日 一首



f0100480_19320619.jpg


20:37



無 防 備 の 思 い が 焼 け る 炎 天 に き み 立 ち の ぼ り 夏 は い よ い よ



むぼうびのおもいがやけるえんてんにきみたちのぼりなつはいよいよ






 午前中に

 新しいエアコンがやってきた。私は冷房ギンギン派だが、お咲きさんはそうでもない。送風状態だった古いエアコンよりずっとましだけれども、新しいエアコンはゆるゆると動いている。からっとした風が吹き温度も高く、洗濯物が1時間ほどで乾く天気だったけれど、すぐ取り入れなくて、ゆるゆるとのんびりしていたら、思わぬ日照り雷雨で、大粒の雨風に洗濯物が濡れてしまった。また今、青空状態で洗濯物、乾き中。



 かばん・cahiers・舟の会に所属の歌人、とみいえひろこさんがご自身の短歌的考察を書き綴っているnoteに歌集『汀の時』の感想を掲載された。まだ途中の段階の気がするけれどどうだろう? ま、すべては途中であるけれど。許可を得て下に転載する。





窪田政男『汀の時』(月光文庫 Ⅳ)

サングラス外すことなき八月の焼かれし眼より伸びる蔓草

舌を垂れ涎を垂れて犬のごと上目遣いのいち日のあり

交わすべき言葉を捨てた舌打ちが合図のように日照雨降りくる

いやそれはどうでもいいのさ生きている生きていないの外のことなど

白皿に片身の魚もうこれはわたしではないあなたでもない

雨の夜のわたしはわたしと二人づれ一人は濡れて一人は歌を




待つのだよ胸処の芯に火をともし夜明けと呼べぬ朝が来るとも

降る雨に思いを合わせ数えれば指折りがたき春のさまざま




さようなら三度となえる水無月の海は海へとつながりて雨
−−以降の海(雨の神戸港より)



この仕事が終わったら感想メモしておこう、そんなのがいくつか×何度も重なってしかたがないので、少しずつメモしていこう。
そして、ためらい、後ずさりし、揺れては分裂して食い下がり、そのようないつも背中ばかりを残すこの歌集には、そんな関わり方が似合うようにも思う。
付箋をしがみつかせ戦がせては、自分のところにかえってくる思いを魚の骨のように外していくのが。



歌集は愛されて読む者のものになってしまう、と、この本の前に岩尾淳子さんの『岸』を読んだときにそう思った。そのつもりで、『汀の時』を自分のものにして読んでいる。読むときは、読むときだけはひとりであるもの。「だけ」をわたしは今は増やしていきたいのだろう。




雑踏や音楽と一緒に読んでもこんなに読め、心に食い込んでくる歌集ははじめて出会ったかもしれないな、跋の饒舌な印象がこんなに残りながらも、受け取った世界観がそのまますっくりとあざやかに、濃く匂う歌集もはじめてだなと思う。




神戸のことを今、自分が読むことができてほんとうにうれしい。ほかの歌集でも、同人誌でもそう。たしかに、そうです、そうでしたと思う、わたしも、自分なりに居合わせ、言葉をなくした。そりゃあ、もっと長く、いろいろなことが止まっていて、心にさまざま残り、ひっかかり、つっかえる。



ある背中を見つめつづけているような感覚や、ずっとむかしに放ったこだまを待つような思いを思い出せそうな感覚や。




かなしみのようなものを見つめつづけているうち、瞳の普段の機能が邪魔になり、ぶるぶると震えて割れ、脱皮してわたしはいつかの蝉になる。八月はいつまでもあり、事件があり、思い、見送り、流し、諦め、蔓草は伸びる。




諦めを得てなお、触れればかえってくる手応えがいつも必ずある。その手応えにいつも含まれているために、汀の人が見つめて抱えようとするものがある。わたしがわたしに罪や咎を与えるという方法、歌うもうひとりがひとりきりで歌う、幽霊のような方法や様式をもって、汀の人は見つめたり抱えたり、汀の向こうや時に語らせたりすることができる。




妙に背後の脇のところからすーっと風が当たり続けているような感覚で読んでいる。




ぼく、わたし、一人、おれ、男。誰も、何者かになりつづけていなければいけないわけはまったくなく、章立ての英語もそれぞれ曲名だったりするのだろうか。構成の細かなところがとっても自然でこちらも力が抜ける、のに、繊細でカチッと決まっていてお洒落。存在感ある。と思ったらふと感覚を終えなくなる。汀の、時の、存在感、とは、このような感覚なのか。




f0100480_19592205.jpg

 夏至を過ぎ、一日の長さが短くなってきた。何だか寂しいなあ、と思っていたら、もうヒグラシが鳴いているではないか。終戦日はまだけたたましい蝉の鳴き声の中にあるというのに。今日は広島で原爆が人類に初めて使われた日。詩客の森川雅美さんから詩の原稿依頼をいただく。短歌は担当が違うとか、まあ、それはそれが実力ということだろう。詩の依頼を受けようと思う。





歌集『汀の時』は直メ、ツイッター、フェイスブック、mixi、そしてこのブログ非公開のコメントで予約してくださると、送料はサービスしま~す。山椒さん謹製、活版印刷栞はもう少しあります。6首バリエーションがあります。葉ね文庫店主の池上きく子さんの笑顔とカバーを折る素敵な指先を見たい方は、葉ね文庫でどうぞ。栞も付きます。







 そんなこんな。







f0100480_20101492.jpg


只今のながらMUSIC

HALFPLUGGED / QUIDAM




by alglider | 2017-08-06 19:36 | 短歌 | Comments(2)

さびしさを糸でかがればかぎ裂きのかたちしてをり棘のあるらし
S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31